2011/12/28

御用納め

午前中はJ-PARCのディビジョン長会議。J-PARCは震災で大ダメージを受けてからこれまで復旧で走ってきたが、大方の予想を裏切って?スケジュール通りにビームが出て、しかも驚くべきことに震災前よりも性能アップしていた。この素晴らしい結果を受けて、今日は和やかな雰囲気に終始した。

午後はいくつかあった懸案のうち、まずは北大に提出する書類を仕上げる。続いて共著者の論文とレフェリーコメント及びその返事を改めてチェックして感想を送った。これで一応御用納めとなったが、論文のレフェリーや原稿書き、申請書の下書き作りなどが年末年始の宿題として残った。

2011/12/27

中性子PAC

昨日から今日にかけて中性子PACを行った。この会議は物構研中性子が公募するS型課題について審査するのが主な目的で、進行中の10課題について1人ずつヒアリングし、その内容について審議した。タイトな日程で行うことになるのでいささか心配だったが、何とか常識的な時間内で終わったので良かった。

S型課題の審議の後に、PACの今後の方向性等についての議論があった。それぞれの立場からいろいろと言われて、なかなか収束せず投げ出したくなった。またこれに続いてMLF会議にTV会議で出たのだが、こちらもくたびれる会議だった。

2011/12/24

お休み中の仕事

昨日から三連休でちゃんと休みを取ってはいるのだが、どうしてもやらなければならないことがあって完全オフ、と言うわけにはいかない。その一つが某出版社から頼まれている本の原稿。2年前に「1年ぐらいで書いて欲しい」と依頼されて引き受けたのだが、結局1年間はほとんど手を付けることができず。これはいけない、と思ってそこから書き始めて、ほぼ2ヶ月で1章のペースで原稿を書いてきたのである。前回原稿を送ってから2ヶ月ほど過ぎているのでそろそろ次を送らなければ、と思い、昨日と今日で何とか1章仕上げて送ることができた。あと1章書けば当初計画は達成できるのだが、他に書かなければならない原稿もあるので果たしてできるのかどうか。それ以前に、某学術誌のレフェリーは待ったなしだし、共著論文の直しに関してもコメントしなければならないし、プロジェクト課題の事も考えなければならないし...ということで、今回の冬休みも無事には済みそうにない。

2011/12/22

レフェリー割り振り

午後はCMRLのPL会議と物構研責任者会議があった。それ以外の時間は、主に2012A申請課題のレフェリー割り振りをした。

2011/12/21

東北大連携ワークショップ

昨日から今日にかけて、東北大とKEKの連携のためのワークショップが東北大金研で開催された。僕は15分ほどKENSの全体とソフトマターのactivityについて発表し、あとは話を聞いていた。東北大のいろいろな分野の研究者が話題提供したのだが、なかなか面白かった。

2011/12/19

忘年会バッティング

今日は午前中に課題審査に関する会議を開催し、午後はBL06の電源設置に関する打ち合わせがあった。夕方、Y田くんをクルマに乗せてつくばに移動し、「つくばソフトマター」の忘年会に出席する。実は今日はNMLの忘年会が東海であったのだが、「つくばソフトマター」は2ヶ月も前に日程が決まっていた上に僕自身が世話人だったので、当然のことながらそちらが優先となった。

2011/12/16

忘年会連チャン

午前中は機構の広報企画委員会。午後は「西川シンポ」があったのだが、ちょっとだけ顔を出して後は自分の部屋で仕事をしていた。そして夕方は今日も忘年会で、物構研執行部に事務室の人が加わったメンバーだった。

2011/12/15

緊急MLF会議

午前中は「緊急MLF会議」があった。これはディビジョンのセクション構成の変更に関する提案に関して、月曜日の教授会で紛糾したことを受けてのことである。主にミュオンのM宅さんが吼えていたのだが、とりあえずここから議論をスタートする、と言うことで収まった。

夕方はMLFの忘年会に出席。電車で帰ることを覚悟していたのだが、つくばにクルマで帰る人に乗せてもらって助かった。

2011/12/14

GL会議など

午前中は中性子GL会議。午後はI田副所長とミュオン主幹のK野さんと打ち合わせ。夕方は「100倍会議」を開いた。

2011/12/13

コア会議と責任者会議

今日のMLFコア会議はつくばからSkypeで接続。その後、物構研責任者会議があった。

2011/12/12

東海の一日

今日の朝一番の会議は中性子・ミュオンの教授会。ほとんどの人がつくばからの出席で、東海は私とK山さんだけだった。

午後はCROSSとの合同会議。その後、JAEAとCROSSのソフトマター関係のプロジェクト課題について、関係者と議論した。

2011/12/09

会議@東海×3

午前中はMLF会議。午後の前半はMLF/Users Office/業務D合同の会議があり、後半は中間評価への対応についてMLFで議論した。その後ちょっとだけ時間があったので、K君の論文に関するコメントを送った。

2011/12/08

東海〜つくば

午前中は東海でディビジョン長会議。終了後にすぐにつくばに戻り弁当を食べようとしたら、K理事から面倒な電話がかかってきた。おかげでCMRCのリーダー会議に遅刻した。

3時半からはJ-PARC研究推進会議。補正予算についての議論だと聞いていたのに、I副所長から直前に「将来計画について話せ」との指示があり、他人が話している間に大慌てで準備する羽目になった。

2011/12/07

物構研シンポ2日目

今日は物構研シンポの2日目。「強相関」がテーマだったのだが、その中に何とかソフトマターを入れようと電気的な相互作用をテーマにセッションを作った。やや無理やりな設定だったので心配だったのだが、何とか無事済んだ。

2011/12/06

打ち合わせと物構研シンポ

午前中はつくばキャンパスで、BL06の遮蔽体を作る業者との打ち合わせを行った。

午後はエポカルで物構研シンポ。今日はERLに関する話が中心だった。

2011/12/01

東海

午前中はディビジョン長会議。午後は東海のオフィスで仕事。

2011/11/30

100倍会議

今日は昼間は特に予定は無かったので、つくばキャンパスのオフィスで仕事。夜は「100倍会議」をやった。

2011/11/29

加速器共通運営会議

今日は加速器共通の運営会議。それぞれの施設長の選考があったため、弁当が出ての長丁場だった。

2011/11/26

サマチャレ続編

今日はBL-6Aのビームタイムの続きだったのだが、そこにサマーチャレンジの学生たちがやってきた。今年のサマーチャレンジは8月下旬に行われたのだが、加速器が動いていない時期だったのでビーム無しで実習していた。しかしせっかくKEKでやっているのにビーム実験ができないのは残念だと言うことで、この時期に追加で実験しに来たのである。我々(と言うかY田さん)が担当した実習はソフトマターの薄膜だったのでX線反射率の実習をしようと思っていたのだが、予備実験がうまく行かなかったので小角散乱の方にやってきた、と言うわけだ。直前の変更だったためバタバタしたが、実験グループの協力もあって何とか無事済んだようだ。

2011/11/25

PF BL-6A

今日から元京大グループによるPFの小角散乱実験である。これまでBL-15Aにあった装置がBL-6Aに移設され、全体に狭苦しくなったと聞かされていたので心配していたのだが、行ってみるとそうでもない。むしろ制御系がコンパクトになって扱いやすくなっただけでなく、2Fに設置された控室が広々としていてむしろ前より住みやすい、と言う感じ。その上、光学系調整用の機器やカウンターの台などが更新されていて、ずいぶん使いやすくなっていた。

2011/11/24

AOCNS終了

今日がAOCNS最終日。plenaryの後の最後のパラレルセッションで、invited talkをした。その後もう一つのplenaryとclosing ceremonyがあって全日程が終了。震災や準備の遅れなどいろいろと大変なことがあったが、無事終了して良かった。因みに個人的には、これまで度々会っていた韓国や台湾などの知り合いとの親交を深めることができただけでなく、オーストラリアやニュージーランド、中国等の研究者とも知り会うことができて実りが多かった。

国際会議の会場だったエポカルからKEKに直行してCMRCの会議に出席。早めに退勤してクルマのディーラーと歯医者に寄って帰る。

2011/11/23

AOCNS第3日

国際会議3日目。午前中はセッションには出ずにいろいろと仕事。午後はソフトマターのセッションを聞いて、その後反射率計に関するInstrumental Scientist Workshopのコアメンバーを集めて今後の方針について議論した。

夕方はAONSA Prizeの受賞講演が行われた。KENSを長年支えてきて、J-PARCの基礎を作ったW辺先生が第1回のこの賞を受けたと言うことは、施設としても名誉なことだ。

2011/11/22

AOCNS第2日

午前中はfacility report。午後はパラレルセッションとNeutron Newsの担当者ミーティング、ポスターセッション、中性子科学会総会があった。中でもパラレルセッションの1つは僕がorganizerだったので、全編一番前で真面目に聞いた。また学会総会では議長に指名されたので、時間が予定通りに進むように、と言うことを最も重視して進行した。

2011/11/21

AOCNS初日

今日はAOCNSの実質的な初日で、午前中はOpening CeremonyとPlenary Lectureがあった。また午後はパラレルセッションがあり、夕方は国際諮問委員会メンバーの接待のパーティーがあった。

2011/11/20

AOCNS開会

今日からアジア・オセアニア中性子散乱国際会議(AOCNS)の開会である。会議自体は登録とレセプションがあるだけなのだが、その他にAONSAのExective Committee Meetingがあり、Instrumental Scientist Workshopがあり、Director's Meetingがありと朝から夜まで予定が満載で、なかなか大変だった。

2011/11/18

金研研究会

今日は午前中から仙台に行って、金研で行われた国際ワークショップに出た。東北大がKEKと協力して建設しようとしている分光器について議論する会議なのだが、その中で「交差相関法」についての詳しい話が聞けて良かった。

2011/11/17

ディビジョン長会議

午前中はディビジョン長会議。早めに終わったので久々にMLFを見に行った。地震で地盤沈下した第三実験ホールは底上げされて、綺麗になっていたのを見て安心した。午後はつくばに戻り、床屋で髪を切ってから帰宅。つくばソフトマターの集まりに出た。

2011/11/16

J-PARC利用者協議会

午前中は中性子GL会議だったがこちらは11時前に終わって、午後からのJ-PARC利用者協議会にオブザーバー参加した。この会議はユーザーコミュニティーの意見を聞くためのものなのだが、今回は次期センター長の選考について突っ込んだ議論が交わされた。

2011/11/15

BL05/06打ち合わせ

今日はBL05とBL06の関係者が集まって、TVでそれぞれの場所の取りあいについて議論した。

2011/11/14

施設利用委員会と選定委員会

今日は東京で「MLF施設利用委員会」と「CROSS選定委員会」があった。どちらもMLFの課題審査部会の結果を受けて承認する、と言う会議なのだが、施設側とユーザー側が合同で議論する、と言う前者と、第三者が議論する、と言う後者の性格の違いが面白かった。

2011/11/12

関東ソフトマター研究会

今日は「関東ソフトマター研究会」のために東大駒場まで行ってきた。この会は全体的に若手の発表が中心なのだが、最後に東大のD井先生の「質問コーナー」があった。これは若手からの質問のお手紙にD井先生が答えて行く、と言う形式なのだが、結構含蓄のある話もあって面白かった。

2011/11/11

J-PARC調整会議

今日の午後はJ-PARC調整会議。KEKとJAEAのトップ同士が話しあう最高機関である「J-PARC運営会議」の準備のため、KEK機構長にセンター長が議事内容について説明する、と言う会議である。センター長と機構長が話し合えば良い、と言う内容だと思うのだが、我々を含めた下々の者が必要に応じて説明しなければならない、ということで控えている人の多い会議であった。

2011/11/10

光散乱

午前中はディビジョン長会議。午後はセンター会議があり、夕方はセミナー。今日は一日東海でいろいろあった日だった。

ところで今日、東海に行ってメールボックスを見たら、光散乱装置の備品番号シールが入っていた。早速貼りに行ったのだが、そのついでに電源を入れてテスト測定をしてみた。9月末に納品されてからずっと放ったらかしにしていたのだが、これからはちゃんと使ってあげよう。

2011/11/09

つくばの一日

今日は珍しく会議が入っていない日だったので、一日中つくばで仕事。雑用の合間に論文に対するレフェリーのコメントを読んだり、課題審査の申請書を読んだりしていた。

2011/11/08

会議@東海×2

今日も東海で会議が2つ。午前中は課題審査に関する会議があり、午後はMLFコア会議があった。

2011/11/07

会議@東海×2

朝は9時からQENS/WINSの実行委員会。午後はMLF/CROSSの実務者連絡会があった。

2011/11/04

中性子課題審査部会

今日はJ-PARC/MLFの中性子の申請課題に関する審査委員会があった。午前中はナノ構造に関する分科会を行い、午後は全体の会議。今回は申請の影響で課題数が少ないので楽かと思ったらさにあらず。わりと細かいことにこだわった議論があって気を使った。また、前半の報告が長くて疲れた。

2011/11/02

つくばの一日

今日は朝からCMRCで打ち合わせ。また10時から責任者会議があった。また、午後は物構研シンポの実行委員会があった。

2011/11/01

つくば→東海→つくば

午前中はつくばで仕事をして、ちょうど昼休みの時間帯に東海へ移動しMLFコア会議に出る。その後つくばに戻って、大型科研費の意見交換会に出た。

2011/10/31

ミュオン実験課題審査部会

午前中はつくばで仕事。大型科研費についての意見交換会があったので参加した。午後は東京へ行って、ミュオン実験課題審査部会にオブザーバーで参加した。

2011/10/28

東海→つくば

午前中はMLF会議。午後からJ-PARC研究推進会議に東海から出席し、その後つくばに戻って少しだけ仕事をした。

2011/10/27

ISW世話人会

午前中はディビジョン長会議。センター長がいなかったこともあって、あまり重要な話題はなかった。

午後はAOCNSのサテライトとして行われるISW (Instrumental Scientist Workshop)の世話人会。僕が担当の反射率計はだいたい準備が終わっていると思っていたのだが、改めて考えると声をかけるべき人が他にもいたので急いでメールした。そしたらすぐに返事が来て、だいたい参加してもらえることがわかった。

夕方は早めに帰宅。妻の誘いでコカリナのコンサートへ行った。

2011/10/26

つくばの一日

午前中はCMRCのリーダー会議。夕方は中性子の将来計画に関する会議があって、その合間には論文の原稿を読んでコメントを送ったりした。

2011/10/25

東海の一日

午前中は課題審査の準備のMLFとCROSSの合同会議。午後はMLFコア会議と文科省対応の会議があった。

2011/10/24

振替休日

今日は休日出張の振替休日だったので、午前中に医者に行き、ついでに銀行に寄ってから出勤した。特に会議などが無かったため、まずは佐賀大のTさんから来ていた論文原稿についてのメールを書き、午後にはS包論文の原稿を読んでコメントするなど雑用の合間にサイエンスができた。

2011/10/21

量子ビームの講義

今日は大学院講義のため北大へ。KEKと北大の連携事業の一環で、「量子ビーム科学」と言うタイトルのリレー講義である。僕は中性子散乱がメインテーマだが、X線も含めて発生から利用までの基礎について話をした。受講した学生は10人ほどで、質問は無かったもののほぼ真面目に聞いていたようで、終了後の小テストではほぼ正しい答えを書いていた。その後、世話人のA倉先生に触媒センターについての説明と案内をしてもらった。

2011/10/20

つくば〜東海〜つくば

午前中はつくばで仕事。「月例報告」とか「物構研シンポに出席して」とか「科研費出せ」とかのメールを書いて出した。その後東海に移動して、「MLF/CROSS実務者連絡会議」に出席。終了後に急いでつくばに戻り、NML教授会に出た。

ところで行きは常磐道を東海スマートICで下りたのに対して、帰りは東水戸道路のひたちなかICから乗ったのだが、時間はほとんど変わらなかった。距離的には東海スマートICの方が圧倒的に近いのだが、街の中を走るのと郊外の国道を通るのとの違いが出ているのだろうか?

2011/10/19

所長懇談会と責任者会議

午前中は所長懇談会。6月にやったKENS-SACの報告をした。午後は物構研責任者会議があり、これらの合間に論文原稿を読んでコメントを送ったりした。

2011/10/18

MLF運営調整会議

今日の午前中はつくばで仕事。午後から東海へ行って、MLF運営調整会議にオブザーバーとして出席した。

2011/10/17

KURRI

今日は京大原子炉実験所(KURRI)の委員会があったので、朝から羽田空港へ行き飛行機で関空へ。2時間余りの会議に出席して、夕方の便で戻った。移動の合間に原稿書きの仕事などをしたのだが、やはりオフィスにずっといて仕事をするより効率が悪い。

ところでこの会議で、京大原子炉が抱える根本的な問題についての説明があった。原子炉は当然のことながらウラン燃料を燃やすのだが、使用済み燃料の処理方法が決まっているのは2016年までだ、とのこと。とするとその後をどうするかが決まらない限り、停止せざるをえなくなる。そしてその事情はJAEAの研究用原子炉でも同じなのだそうだ。これまで僕は地元の理解が得られれば研究用原子炉を運転するのは可能なのかと思っていたのだが、そう簡単な話ではないわけだ。J-PARCがあるからと言ってJRR-3を止める理由にはならない、と言うのが中性子科学をやっている我々の共通理解だったのだが、どうもそうでもないらしい。

2011/10/14

東海からの出張

9時から課題審査に関するCROSSとの合同会議があったので、東海に行った。昼から東京に出張だったにも関わらず頑張って行ったのだが、出席率が悪くがっくり。

午後は東京でJAEAのプロジェクト課題に関する会議。

2011/10/13

東海

午前中はディビジョン長会議。昼からKENS-REPORTの送付先についての打ち合わせをし、その後J-PARCセンター会議に顔を出した。

2011/10/12

会議@つくば×3

午前中は中性子GL会議。午後は物構研シンポの実行委員会があり、夕方から「100倍計画」の会議があった。

2011/10/11

中間評価に向けて

午前中はJ-PARCセンターで、午後はJ-PARC関係のKEKメンバーで来年行われる中間評価に関する打ち合わせをした。どちらも今日がキックオフと言うことで、何をしなければならないかについて共通認識を作るところで終了。

2011/10/08

人間ドック

午前中は人間ドック。細かいことはあったが特に大きな問題はなかった。またANAから連絡があり、スーツケースは無事到着したがキャスターの付け根の部分に割れがあった、とのこと。どれだけ割れているのかと心配しながら届くのを待っていたのだが、言われて見なければ分からないほどだった。もしロストバゲージにならなければ、気付かずに終わっていたかも?

2011/10/07

無事帰国

予定時刻よりやや早めに成田に到着。たださすがに荷物は乗り継ぎできなかったようで、回転テーブルには現れず。ロストバゲージの手続きをして帰宅する。

2011/10/06

いろいろ議論

FZ-Juelich訪問2日目。今日も朝からRichterのグループのメンバーと現在の研究内容について議論した。また滞在中のS包くんと何度かに渡って打ち合わせをした。夕方デュッセルドルフ空港に移動し、帰国の途につく。ミュンヘン到着が1時間ほど遅れたため成田行きへの乗り継ぎは無理かと思ったが、係員と一緒に空港内を爆走して何とか間に合った。

2011/10/05

FZ-Juelich

今日はForschungszentrum Juelich(FZ-Juelich〜ユーリッヒ研究センター)の訪問である。朝9時にタクシーに乗ってICS (Institute of Complex Systems)へ行き、中性子のボスであるRichter教授に会い、その後いろいろな人と議論。午後はセミナーで1時間ほど話した。

2011/10/04

ドイツへ

今日は移動日で、昼からチューリッヒ空港に移動して午後の便でデュッセルドルフへ。研究所からお迎えのタクシーでユーリッヒのホテルにチェックインした。

2011/10/03

PSI訪問

今日は、今回のヨーロッパ出張の第一の目的であるPSIの訪問である。朝8時20分にKEKメンバーがお迎えのバンに乗ってPSIへ。午前中はKEK側、PSI側それぞれが現状について報告した。昼食を挟んで午後は施設訪問で、放射光施設のSLSと中性子のSINQ、ミュオンのSμSを見て回った。午後は延々と歩いたためへとへとだったが、いろいろ見れて面白かった。ヨーロッパの大型施設は特徴のあるところが多いのだが、PSIはカウンターやミラーなどのデバイス開発を頑張っていることで知られている。例えばX線で言うと2次元カウンターのPLATUSなのだが、10cm×2cmぐらいのユニットを20枚ぐらい敷き詰めた大きな検出器はインパクトがあった。また中性子はサイクロトロンで加速した陽子を固体ターゲットに当てて作るロングパルスのソースなのだが、並んでいる装置がほぼ原子炉と同じものだったのが面白かった。

2011/10/02

Baden

今週はスイスとドイツへの出張で、土曜日の夕方に成田空港近くのホテルにチェックインし、日曜日の10時20分発のスイス航空便でチューリッヒへ。スイス国内は鉄道での移動で、3時半頃Badenに到着した。ここは有名な温泉場だそうで、町の真ん中を川が流れていてその両側に建物が並んでいる雰囲気は、日本の温泉にも通じるところがある。宿泊するホテルの近くに公共の温泉があったのだが、水着がないと入れないようで残念。

2011/09/30

会議@東海×3

今日も朝から東海へ。まず9時からMLFの各種文書の英語版の整備に関する打ち合わせがあり、10時からMLF会議。そして午後はMLF運営調整会議に向けての打ち合わせがあった。

2011/09/29

GPZとTDR

今日は朝から東海へ。午前中はディビジョン長会議に出席し、その後A井MLFD長と打ち合わせ。いったん東海1号館のオフィスに戻り、3時半からCROSSとの連携協力会議があった。これらの合間に高分子学会誌の著者校正を済ませて送った。

ところで今日は久々にGPZ1100で東海まで行ったのだが、駐輪場に停めた時にTDR80に目が留まった。このバイクは15年前に中古で買ったもので、それ以来ずっと東海に置いてある。買った当時は物性研に足繁く通っていたのでそちらに置いていたのだが、その後KEKに移ってからは主にJ-PARCとの往復に使っていた。とは言え、この間の走行距離はわずか2000kmほど。倉庫の中に保管していた時期もあったのだが、ほとんどは野ざらし状態だったので外装はボロボロである。しかもこの夏の間はエコを考えて自転車を使っていたので、何ヶ月もエンジンをかけていなかったのである。と言うことで早速キーを回してバッテリーが生きている事を確認したのだが、しかしキックしてもエンジンはウンともスンとも言わない。それどころか取り回しがやけに重いので、タイヤの空気圧を見たら1気圧以下だった。なのでとりあえずタイヤに空気を入れ、何度も押しがけしてようやくエンジンが動き出した。それにしてもあちこちがギコギコ言ってしんどそうなので、近いうちにメンテしてやらねばなるまい。

TDR80に空気を入れるついでにGPZの空気圧も見たら、そちらもだいぶ減っていた。そこで規定の空気圧にしてやったら、いっぺんに軽い感じになった。今週は珍しく毎日GPZに乗っていたのだが、こんなに空気圧が減っていたのに気がつかなかっただなんて、鈍感になったものだ。

2011/09/28

100倍会議

今日はまずつくばに出勤し、連絡バスで東海へ。午前中はセットアップが終わったDLSについての説明を聞いた。昼過ぎに東海を出るバスに乗ってつくばに戻り、T崎理事の部屋で行われた「出前授業」の総括会議に顔を出す。6時から中性子の主なメンバーで集まって、「中性子のピーク強度が100倍になったら何ができるか」をテーマにした会議を主宰した。

2011/09/27

新しい光散乱

午前中はつくばで物構研責任者会議。終了後に東海に移動して、MLFコア会議。その後つくばに戻って、業務報告書に基づく面談(因みに今回は僕が面談される方)に臨んだ。

ところで今日、東海1号館に光散乱装置が納入された。Y田くんが対応してくれていたので一瞬見に行っただけだったのだが、以前のモデルと違ってコンパクトになっていたのにはびっくり。京大で買った時にはパーツを光学定盤の上に設置調整するのに数日かかっていたのだが、今は工場で一体ものとして作られたものが納入されて、テーブルの上に置くだけでほぼ終わり、と言う感じらしい。調整が要らないのはユーザにとっては良いことなのかも知れないが、逆に何もいじれないと言うのも寂しい。

2011/09/26

CMRCの会議

今日は一日つくばのKEKで、午前中は雑用に勤しむ。午後はCMRCの会議があって、その後再び雑用。

2011/09/24

物理学会秋季大会

9/21〜24は富山大で物理学会秋季大会が行われた。台風15号の通過により交通機関が乱れて予定通り到着できない人も多かったらしく、21日は講演や座長のキャンセルが結構あった。

21日は超伝導の特別講演へ。今年は超伝導発見の100周年だそうで、それを記念して過去と現在をレビューすると言う内容だった。またその後は論文賞を取ったLさんの講演を聞いた。専門外の話だったのでどちらの話も分からない事もあったのだが、それでもためになった。

22日はいろいろ行きたいセッションが目白押しだったのだが、その中で「生体機能と構造」のシンポジウムへ入った。これも僕の専門からやや遠い話が多かったのだが、特に膜の曲率を認識して付着するタンパク質の話が示唆的で面白かった。

2011/09/20

物理学会へ

午前中、中性子の人事に関する相談をする。その後は、連休中に書いた「入門講座 中性子スピンエコー」の原稿の微修正をして共著者に送付。午後は〆切を大幅(確か10日)に過ぎたAOCNSのアブストラクト書いて送った。またその後ちょっとだけ放射光の人と政治的な話をしてから、物理学会への移動のため羽田空港へ行く。台風接近のため視界不良で折り返す可能性あり、と言う条件付きのフライトだったが、無事到着できて良かった。

2011/09/16

つくば→東海

朝イチで物構研内での打ち合わせ。EUとの協力に関してと言うことだったが、良く分からないままに終わる。その後東海に移動して、午後はまずCROSSとの実務者協議。その後中性子科学会関係のTV会議があった。

2011/09/15

会議@東海×3

今日は1日東海で、午前中はJ-PARCのディビジョン長会議。午後はKEKの東海キャンパス全体会議があり、続いてMLF/CROSS合同会議を行った。またこれらの合間に、スタッフ2人との面談を行った。

2011/09/14

中性子GL会議+α

午前中は中性子GL会議を行った。いつもよりも短時間で終わったので、午後に予定していた面談を繰り上げて午前中に済ませる。午後は総研大の教授会があった。

2011/09/13

会議×2+面談

午前中は物構研責任者会議。午後は加速器共通の運営会議があった。また夕方2人と面談した。

2011/09/12

半分だけ研究モード

今日の午後は業務報告書に基づく面談で、5人と話をした。それ以外の時間は(珍しく)研究モードで、午前中はS野くんの論文原稿に関する文章を書き、午後は10月に訪問するユーリッヒでのセミナーのアブストラクトを書いた。

2011/09/11

週末work

以前から書いているソフトマターの啓蒙書だが、1ヶ月に1章ずつと言う約束だったのに5月以来書いてなかった。出版社からは2度も催促が来たのでさすがにまずいと思い、週末に集中して1章を仕上げた。残り2章になったのでこの勢いで仕上げてしまおう、と思って次も書き始めたのだが、やってみると結構難しい。どう書けば面白い内容になるか、良く考えた方が良さそうだ。

2011/09/09

MLF会議と業務報告書面談

午前中は東海でMLF会議。終了後すぐにつくばに向かったのだが、昼食に時間がかかって予定よりも10分遅れで到着した。つくばでは業務報告書に基づく面談。今日は5人と話した。

2011/09/08

PF研究会終了

今日はPF研究会の最終日。SAXSとXAFSの合同の研究会で、今日はXAFSがメインである。いろいろやる事があったので自分の部屋と言ったり来たりしながら何人かの話を聞いただけだったのだが、A倉さんの話やN子さんの話など、普段あまり聞かない内容で面白かった。

2011/09/07

小角散乱で何が分かるか

今日もPF研究会だが、午前中は午後の講演に備えて部屋で準備。午後はK田さんのERLの紹介に続いて「小角散乱で何が分かるか」と言うタイトルで講演した。世話人のI嵐さんからは「分野外の人にも分かるような話をしてくれ」と言うリクエストを受けていたのだが、中身の半分以上は自分の研究に関する話。基本だけじゃ面白くないな、と思ってそうしたのだが、他の人の話を聞いた限りではこれで正解だったような気がする。

発表が終わった後、部屋に戻ってORNLの申請書をまとめて提出した。

2011/09/06

PF研究会と運営会議

昨日の入門講座に続いて、今日はPF研究会「GI-SAS法の展開」に出席した。今日は気楽に聞こうと思っていたのだが、いきなり午前中の座長を頼まれた。講師は3人ともよく知っている人だったので良くわかったのだが、ずっと緊張して聞いていたので少々疲れた。

午後は物構研運営会議と総研大の専攻会議があった。

2011/09/05

GI-SAS入門講座

今日は昨日の休日出勤の振替休日になっていたので、昼過ぎまで家にいて3時から出勤。PF研究会の一環として行われたGI-SASの入門講座を聞いた。これまでGI-SASは興味はあったもののやったことが無かったので、結構ためになった。特にGI-SASは普通の小角散乱と反射率計の間だ、という説明は分かりやすかった。

2011/09/04

KEK一般公開

今日はKEKの一般公開があったので出勤。午前中は中性子の教授・准教授が集まって科研費の申請について議論し、その後物構研の展示の説明のためにPFに行った。

2011/09/01

責任者会議と教授会

午後から物構研責任者会議と中性子ミュオンの教授会があった。

2011/08/31

東海→つくば

午前中はディビジョン長会議へ出席したが、途中で抜けてつくばへ。総研大の入試の面接に出た。

2011/08/30

N尾くんとの議論など

朝、医者に行って尿酸値を測ってもらってから出勤する。1ヶ月半前の予約をすっぽかしていたので心配していたらしいが、実は飲み薬がたくさん余っていたのであまり焦っていなかった、と言うことだった。おかげで数値も特に悪くはなっていなかったようで、どうやら僕の場合「時々忘れる」と言うぐらいのペースが良いみたいだ。

昼から東海に行って、MLFコア会議に出る。その後、総研大の学生の「修論発表もどき」に出て、その後N尾くんと議論した。彼はアメリカから家族と里帰り中なのだが、その間の2週間ぐらいをKEKに滞在して実験をしてもらう、と言うことになっている。十分な試薬や装置が無い中でやってもらっているのでだいぶ不便をかけているのだが、今日は実験上のちょっとしたことを2人で工夫しながら解決できた。こうやって実験室で手を動かすことが少なくなって久しいが、やはり自分で実験しつつ考えるのは楽しい。

2011/08/29

科研費

今日は珍しく何も予定の無い日だったので、一日つくばでデスクワークに勤しんだ。その中で特に考えたのは、科研費のこと。一応基盤研究を持っているのでしばらくは安泰なのだが、それで満足していては研究者としての感覚が鈍ると思って、「挑戦的萌芽」に出そうと思っていろいろとネタを考えていた。

2011/08/27

サマチャレ最終日

今日は9日間にわたったサマーチャレンジの最終日。参加した学生たちは、実験した成果をグループごとに発表した。私が関わったグループは初っぱなの発表だったが、中間発表に比べれば格段の出来だった。昨日の夜に見に行った時はこれから解析します、と言う雰囲気だったのだが、その後寝ないで頑張ったとか。思い返して見れば僕も3回生の時の学生実験でしんどい思いをしながら徹夜したことが後で役に立ったわけで、それに匹敵する経験ができたのだろう、と思う。

2011/08/26

会議@東海×2

午前中はMLF会議。夕方は中性子科学会の体制検討委員会。どちらも東海だったので、昼の間はサマチャレを見に行けず。東海からそのまま帰ろうかとも思ったが、やはり顔だけでも見に行こうと思って行ったら「これから」と言う雰囲気で頑張っていた。

2011/08/25

サマチャレ中間発表

今日の午前中はサマーチャレンジへ。T飼さんの高分子薄膜に関する講義の後に、学生たちの中間発表があった。学生たちは良く頑張っている、と言うことは分かったが、勉強することが沢山あってなかなか消化するのは大変だな、と思った。

昼から東海へ行って、放射線の講習を受けた。内容のほとんどは例年受けているものと同様だったが、原発事故に絡んで話題になっている被曝線量とリスクに関して専門的な話をじっくり聞けたのは良かった。

2011/08/24

CMRCの会議

午前中は雑用をしつつ、MLFのAnnual Reportの原稿を作った。午後はCMRCのプロジェクトリーダー会議。夕方サマチャレの演習を見に行ったのだが、ちょうど食事に行った後だったようですれ違いだった。因みに風邪の方だが、喉の痛みもおさまってほぼ治った感じ。身体がエネルギーを必要としているからか、お腹が減って仕方がなかった。

2011/08/23

風邪

昨夜、食事をしている時から喉に違和感があったのだが、それがだんだん酷くなって早めに就寝。夜の間はずっと痛くて発熱もあったような感じで、朝は起きるのが辛かった。だが朝食を食べて近くの内科に行った頃にはだいぶ良くなって、N尾さんとH野さんをつくば駅に迎えに行った時にはかなり復活していた。そしてその後昼まで打ち合わせ。2人を東海まで連れて行って、N尾さんの手続きにつきあった。実はこの風邪の症状はサマチャレをやっているY田くんと良く似ているので昨日彼からうつされたのではないかと疑っているのだが、Y田くん本人は僕より酷そうだった。

2011/08/22

論文査読

今日の午前中はいくつか雑用をこなした後、ある論文の査読を行った。内容的にはまあまあ面白い実験結果なのだが、いろいろな部分で詰めが甘く、物理系ではトップランクの一つであるこの雑誌の論文としてはふさわしくない、と思ってrejectの評価を送った。

午後はちょっとだけサマチャレの実習を見に行って、夕方アメリカからやってきたN尾さんに会った。

2011/08/20

サマチャレ講義

昨年に引き続いて「中性子利用研究の基礎」と言うタイトルでサマーチャレンジで講義を行った。2年目と言うことで昨年よりはこなれた話ができたと思うが、最後の時間の読みを間違えて駆け足で流すだけになってしまったのは失敗。A立さんがやっていたように、最後のパートは話さず質問コーナーにするべきだった。

2011/08/19

サマーチャレンジ

今日からKEK主催の「サマーチャレンジ2011」が始まった。このサマースクールは学部3年生が対象で、今回が(たぶん)5回目。物構研としての参加は昨年に続いて2回目である。昨年はやや短い日程で行ったのだが、やはり期間が短かったと言う反省があったようで今年は9日間のフルメニューとなっている。今日は小林先生の特別講義とM上さんの講義を聞いて、午後はソフトマター演習のセットアップの手伝いをした。

2011/08/18

久々の出勤

昨日までの夏休みが終わって、今日から出勤。ただしつくばキャンパスは今日までお休みなので、一部のネットワークサービスが使えなかったりしていた。

午後はまずヘンデル棟へ行って、MLFとCROSSの間の実務者連絡会議に出席する。終了後すぐに東海1号館に移動して、AOCNSのサテライトとして開かれる装置責任者会議の打ち合わせに出た。

2011/08/13

北大KEK連携シンポ

昨日、福岡空港を11時過ぎに出て新千歳空港へ。レンタカーを借りて北大に移動して「北大-KEK連携シンポジウム」に途中から参加した。北大では1時間ほど話を聞いて、その後定山渓に移動。食事をしながら新しい連携の可能性について話し合った。同部屋は北大のT口さん、夕食の時となりに座ったのはO谷さんで、いずれも触媒が専門の化学者だったので話がかみ合わないところもあったのだが、全体的にはいろいろ新しい話が聞けてためになった。

今日の午前中は定山渓でシンポジウムの続き。北大のA塚さんは多極子秩序の話だったのだが、分野外の人にも分かるように話してくれたので良く分かった。また続いて話をしたT橋さんは有機半導体の話だったが、こちらはご本人のキャラクターもあって非常に面白かった。

12時にはまだ終わっていなかったのだが、飛行機の時間が気になったのでO友さんと早めに出発。心配していた通り途中で結構渋滞したので、早めに出たのは正解だったと言えるだろう。ただ、僕が予約していた飛行機は機材の都合で45分遅れ。またO友さんが変更を希望していた1つ前の便も1時間以上遅れたので、結果的には焦る必要はなかった、と言うことになるのだが。

2011/08/11

液晶学会ソフトマターフォーラム

今日は「液晶学会ソフトマターフォーラム」に招かれて福岡に出張した。会場はJR博多駅の新しい駅ビルの最上階にある会議室。アクセスが最高に良いだけでなく同じフロアにレストラン街があるので、とても便利なところだ。朝5時半のTXに乗らなければならなかったのは少々辛かったが、話は全体的に面白く、僕の話に関してもいろいろ議論ができて、とても良かった。

2011/08/10

中性子GL会議とCMRCの会議

午前中は中性子GL会議。前回あまり議論できなかったこともあって、次々と話題が出てきて予定をかなり超過してしまった。

夕方はCMRCのプロジェクトリーダー会議に出て、終わった後につくばセンターに場所を移して暑気払いをした。

2011/08/09

AOCNSプログラム委員会

今日はAOCNSの国内プログラム委員会があったので、朝から品川まで行った。AOCNSは11月中旬開催なのだが、いまだに招待者が決まっていないと言う事態である。震災があったため仕方がなかった、と言う面はあるものの、少々危機的状況である。と言うことで、日程調整もなくピンポイントで集まったにも関わらず多くの委員が駆けつけた。

昼に東海に移動して、MLFコア会議に1時間ほど出てNSEに関する打ち合わせをした。

2011/08/08

人事委員会と体制検討委員会

今日の午後は加速器・共通の人事委員会があり、その直後に中性子科学会の体制検討委員会があった。ちょうど同じ時間帯にミュオンの将来計画について機構全体で考える会があったのだが、そちらには全く顔を出せず残念。

2011/08/05

ソフトマター研究会2日目、3日目

ソフトマター研究会の2日目と3日目は、真面目にほとんどすべての講演を聞いていたのだが、宿泊したホテルが近かったおかげで昼休みに戻って自分の仕事をすることもできた。夏の京都、と言うととにかく暑いものだが、今回は京都駅から歩いて10分以内のところにしか行かなかったし、また部屋の中にいることの方が圧倒的に多かったので、あまり暑さを感じなくて済んだ。

2011/08/03

第1回ソフトマター研究会

今日から京都で「第1回ソフトマター研究会」が始まった。昨年までは科研費特定領域の「ソフトマター物理」が走っていたが、それが終わったためその後に何かしよう、と言うことで始めた研究会である。「金の切れ目が縁の切れ目」で参加者が少ないのではないかと心配したのだがさにあらず。150人ぐらい出席していたそうで会場は一杯だった。今後については何も決まっていなかったので会議の後に飲み会で議論したのだが、そこに顔を出したのは僕と同じか若い世代ばかり。これまでO田さんら上の世代の人たちに引っ張られて来たのだが、今後は僕らがやらなければならない、と言うことを強く感じた。

2011/08/02

東海BBQ

今日は朝から東海へ行って、事務との打ち合わせや補正予算対応等の仕事をした。

夕方は中性子主催のBBQ。思いつきでY田さんやS谷さんにアレンジしてもらってやったのだが、東海勤務の多くの人に加えてミュオンや管理局の人たちも来てくれて、盛り上がって良かった。

2011/07/28

東海

今日は2週間ぶりに東海へ。午前中はディビジョン長会議に出席し、物構研事務室で打ち合わせしたりK山さんと話し合ったりした。

因みに明日から月曜日まで夏休み。北海道へ行って「釧路湿原マラソン」で30km走ってくる予定。

2011/07/27

会議×2

今日は午後から物構研責任者会議とCMRCのグループリーダー会議があった。また夕方は責任者会議の暑気払いがあった。

2011/07/26

物性研中性子施設運営委員会

午後は東大柏キャンパスに行って、東大物性研中性子の施設運営委員会に出席した。J-PARCは「国際公共財」と言う位置づけだ、と言うことになっているのでJRR-3も一緒かと思っていたのだが、原子炉は違う、と言うことを今日初めて知った。

2011/07/25

ESS

7時過ぎに成田空港に到着する便でプラハより帰国した。ECNSの後はESS関係のサテライトミーティングに出たのだが、50人ぐらいと言う話だったのに実際にはたくさん(目分量だが200人以上)出席していて驚いた。ヨーロッパには中性子施設が各国にあるのだが、その多くは原子炉なので、一部を除くと数年〜十年程度のうちに運転を停止することになる。今の情勢を考えれば新しい原子炉を作ることは難しいのは明らかなので、加速器駆動の中性子源を作るのは絶対に必要、と言うことのようだ。とは言えパルス中性子源は1つ作るのに数百億円以上かかる代物なので、1つの国だけで作るのは難しい。と言うことでESSは、ヨーロッパの17ヶ国が共同して作る計画となっている。技術開発や多国間協力など困難が多々控えていることは容易に想像できるが、何とかうまく行って欲しいものだ。

昼過ぎにつくばに戻り、ちょっとだけKEKに行って仕事をした。

2011/07/21

ECNS2011

日曜日(7/17)からECNS2011(The 5th European Conference on Neutron Scattering)に出席するためプラハに来ている。この会議はヨーロッパの中性子散乱研究者の学会であるENSA(The European Neutron Scattering Association)の主催で、1996年(インターラーケン)、1999年(ブタペスト)、2003年(モンペリエ)、2007年(ルンド)に続いて5回目となる。私はこれまで出たことが無かったのだが、立場上出た方が良いだろう、と思って来てみた。ヨーロッパの会議なのでこちらの人ばかりかと思えばさにあらずで、日本人もKEKやJAEAだけでなくいろいろなところから沢山(たぶん30人ぐらい?)参加している。口頭発表に選ばれている人も多く、会議を盛り上げる役に立っているように思う。

ヨーロッパでは次期パルス中性子源ESSが正式にスタートしてから初めての会議なので、その関係の発表が多く活気がある。ヨーロッパ全体で見ると中性子散乱の施設は多いが、ほとんどが原子炉ベースなのでいずれは休止に追い込まれると言う危機感があるようで、ESSに賭ける思いが強いのではないだろうか。このプロジェクトは17ヶ国の協力の元に行われるが、その困難もきっと乗り越えて行くのだろう。

2011/07/16

成田〜フランクフルト〜プラハ

成田空港発9時半のルフトハンザ便に乗って出張に出発する。エコノミークラスがほぼいっぱいだったのだが、これは「女子W杯」の決勝を見に行く人が居たからだろうか?見た目には、普段のお客さんと何も変わらないように見えたのだが。

フランクフルト行きは最新のエアバス380で良かったのだが、シートテレビのシステムが調子が悪く映画等が全く見れなかった。また唯一使えたスカイマップも表示される地名がデタラメ。クルーは地上と連絡を取りながら復旧に務めていたようだが、結局直らなかった。因みに先月ANA便で海外出張した時にもシートテレビの不調があったのだが、その時にはほとんどの機能は使えていて、しかもお詫びのクーポンかマイレージをくれた。ルフトハンザはそれより状況が悪かったにも関わらずお詫びの品は何もなかった。

2011/07/15

出張準備

午前中は国際会議のためのポスター作りなど。午後は物構研運営会議とCMRCの会議があった。午後7時前に帰宅して妻と出発の準備をして、成田空港近くのホテルにチェックインした。

2011/07/14

ディビジョン長会議

午前中はセンターのディビジョン長に出席した。会議はほぼ復旧の進行状況についてのもので、真面目に聞かなくても大丈夫とタカを括って内職していたのだが、終了間際になってS型課題についての話題になって驚いた。センター長が「S型課題は仲間内で大きな割合のビームタイムを取っていてケシカラン。PACを開いてオープンにやるべきだ云々」と言い出したのである。この人がそう言う主張だと言うことは前から分かっていたことではあるのだが、しかしこれまで何度も(特に運営調整会議の席上で)説明したことを何も覚えていなかったわけだ。S型課題のビームタイムが多いのは、主にはその装置を作るために導入した外部資金(NEDOやERATOなど)の要請によるもの。むしろそちらの止むを得ない事情を慮りつつ、こちらの原則といかに整合させるかを考えて決めたものだ。またそもそもS型課題は物構研の共同利用の枠内でやっているので、公募とPACによる審査を行うのは当然のこと。むしろJ-PARCの一般課題に比べて遥かに多くの時間と労力をかけて、コミュニティと連係しながら進めているのであって、今更部外者からとやかく言われる筋合いのものではない。現センター長の人間性は嫌いじゃないしリーダーシップも尊敬しているのだが、しかし既に説明したことをすっかり忘れて非難するのは困ったものだ。人間、年を取れば記憶力が減退するのは当然のことだが、自分がそうなっていることに気付かずに思い込みで他人を非難する、と言うのは止めて欲しい。

2011/07/13

東京会議×3

今日は朝から東京駅の近くの会議場へ行き、MLFの施設利用委員会を開いた。続いて場所を移して、個室のあるレストランで中性子GL会議。そして午後はCROSSの選定委員会にオブザーバー参加した。会議自体はそれほど大変ではなかったが、会議と会議の間の時間的余裕が全く無く、しかも場所が離れていたこともあって結構大変だった。

2011/07/12

リン脂質膜を中性子で見る

今日は久々に何も予定の無い日だったので、昨日〆切だった高分子学会誌の原稿を仕上げた。これは春ぐらいに北九州のSさんから依頼されていたもので、リン脂質膜と中性子散乱について書く、と言うことだった。リン脂質膜も中性子散乱も長くやっているので、これらをちょこちょこっとまとめれば良いだろう、と軽く考えていたのだが、いざ書こうと思って執筆要領を見てびっくり。自分たちの仕事の引用は40%以下に止めて、他の人の仕事の解説も含めてその研究分野の展望が見えるような文章にして欲しい、のだそうだ。ただ、そうは言っても原稿の長さは全体で3ページ。とても分野全体を見渡すような話は書けない。と言うことで、自分の研究に加えてY田くんの結果(これは自分自身は共著になってない論文なので、まあよかろう)と京大薬学部のNさんの話を加えて、〆切から1日遅れで提出できた。

2011/07/11

2011/07/08

7/6-8

7/6 午前中はPF-PAC全体会議。午後は東海で量子ビーム構造物性セミナー。
7/7 午前中はつくばで仕事。午後は神谷町のKEK東京連絡所で中性子科学会体制検討委員会。
7/8 阪大へ出張して、ソフトマター物理についてのセミナーをする。

2011/07/05

別のCROSSとの会議

今日の午後は昨日とは別のCROSSとの合同会議。昨日はわりと実務的な会議だったが、今日は両センター長が議長を務める公式のものである。重要事項はここで決定する事になっているので大事なのだが、しかし実質的な事を昨日終えている事もあって少々退屈だった。

2011/07/04

CROSSとの合同会議

午前中ちょっとだけつくばキャンパスに寄ってから東海に行く。午後はCROSSとの課題審査に関する合同会議が予定されていたのだが、準備に関しては人任せだった。が、それではいかん、と思い直して午前中に準備をして関係者に送付。おかげで件の会議は大過なく終わった。

2011/07/01

PF-PAC分科会

午前中は来週のセミナーの要旨を作成。またいろいろメールを読んだり書いたりしていたら突然空腹を感じたので、11時過ぎに「早弁」してしまった。おかげで昼休みはたっぷり時間があったのだが、仕事の都合と暑さに負けてテニスに行くのは断念した。

午後はPF-PACの分科会。PACは来週が本番なのだが、実質的な審査は分科会で行われる。今回は課題数があまり多くなかった(たぶん)こともあって、4時過ぎには終了。その後、今年度予算に関するまとめをしたり、7〜8月の出張の手続きなどをした。

2011/06/30

京七味

朝6時過ぎにつくばに到着。朝食を食べてからつくばキャンパス経由で東海に行く。午前中はディビジョン長会議に出席。午後はセンター会議に顔だけ出して、部屋に戻ってS君の論文原稿を読んでコメントを送った。そしてセミナーに行こうと思ったのだが最初場所が分からず、もう一度確認しようと自分の部屋に戻ったらH野さんから電話があったので、しばらくいろいろと打ち合わせをする。それから改めてセミナーに行ったらほとんど終わっていて、内容が分からないままに終わってしまった。

ところで京都に行ったついでに、自分の土産として京七味を買ってきた。京都に住んでいた頃に覚えたことはいろいろあるのだが、七味もその一つ。自宅では常に食卓の上にあって、蕎麦やうどんはもちろんのこと、味噌汁や漬物、おかず等、和食ならば何にでもかけて食べるのである。七味は風味が命なので買い置きしておくわけにもいかず、無くなった頃と京都行きのタイミングを見計らって新しいのを買ってくるのだが、半年ほど前にうっかり切らしてしまったのである。(そこで「筑波山の七味唐がらし」と言うのを買ってみたのだが、やはり全然違う。福来みかんが入っているのが筑波山の特徴らしいのだが、それ以前に香りが少ないと言うか何と言うか...)今回の京都行きでは新幹線から下りてすぐに買って、帰宅してすぐに封を切って味噌汁にかけて食べた。旨かった。

2011/06/29

京大トンボ帰り

午前中は物構研責任者会議。いつもより30分早くスタートしたので早めに終わるか、と思えばさにあらず。終了時刻はいつもと同じだったので、大急ぎで帰宅し弁当を持ってTXに乗った。京都駅に着いたのは4時過ぎで、それから京大のY川研へ。緊急の打ち合わせをし、京都で一人暮らし中の息子と夕食を食べて「よかっぺ号」に乗った。

2011/06/28

車上荒し

朝、出勤しようと駐車場に行ったら、車の窓ガラスが割れていた。明らかに車上荒らしに遭ったと言う感じだったので警察に電話したところ、近くに駐車場に警官がいるからそちらに行って見ろ、とのこと。どうやら近所で何台もの車が荒らされていたとのことだった。これだけ大きな事件と言うことになると警察も軽視はできなかったようで、鑑識が来て靴跡や指紋等を採取して行った。僕はその現場検証に立ち会い、被害届を書くなどしていたため午前中が潰れてしまった。

昼過ぎに車をディーラーに持って行って修理を依頼し、代車に乗って東海へ。MLF関係の組織による合同の会議に出席した。

2011/06/27

中性子実験装置部会

午前中はCMRCの会議。午後は東京でJ-PARC/MLFの中性子実験装置部会があった。これまでこの種の会議はJAEAの東京事務所で行われることが多かったのだが、事業仕分けで「なぜ高い金を払って東京に事務所を維持しなければならないのか」と指摘されて泣く泣く?明け渡したのだそうだ。その後の東京事務所がどうなったのか知らないのだが、いずれにせよ昔のように自由に使える、と言うことはないらしい。と言うことで今回の実験装置部会は、公務員共済のホテルの一室を借りての開催となった。主な議題は偏極装置とタンパク質解析装置の2つだったのだが、どちらの議論も白熱して予定を大幅に越えることになった。

2011/06/25

TIMS研究交流会

今日はTIMS(筑波大学学際物質科学研究センター)の研究交流会に出るため午後から筑波大に行った。このTIMSはもともとは白川英樹氏のノーベル賞受賞を記念して「白川センター」として作られたもので、この春から「グリーン・イノベーション」を大目標に改組されたのだそうだ。そしてその中でKEKや物材機構等との連係もすると言うことなので、話を聞きに行ったのである。「π電子物質科学の基礎と応用を中心に据える」と言うだけあって全体的に化学寄りの話が多く、また1人当たりの発表時間が短く質疑もほとんど無かったので良く分からない事も多かったのだが、それなりに勉強になった。

2011/06/24

写真撮影

今日は10時からMLF関係者全員の写真撮影があったのだが、東海に行く前につくばキャンパスに寄ったところいくつかやらなければならないことができて、到着が少々遅れてしまった。個人的には写らなくても一向に構わなかったのだが、皆さん待っていてくれたようで悪いことをした。

午後はMLF復旧対策会議とMLF会議があった。

2011/06/23

大臣視察

今日は朝から東海へ。ディビジョン長会議に行ったのだが、急きょ大臣の視察があると言うことでN宮さんとI田さんは顔を出しただけで慌ただしく出て行った。後から聞いた話によると、文科省から原子力機構に対して原発事故対応に500人出せ、と言う要請があったとのこと。これまで原発は経産省の管轄と言うことで文科相側からは手が出しにくい雰囲気があったようだが、さすがにそんなことは言ってられなくなった、と言うことか。個人的には、原子力機構内部は原発とは関係の無い研究をしている人がほとんど、と言う印象なのだが、たぶんそんなことは言ってられないのだろう。逆にここで原発事故の解決に役に立つ事ができなければ、何のためにこれまで存在してきたのか、と問われることにもなりかねない。

午後は久々に論文原稿読み。S包くんから来ていた論文修正版をチェックして、コメントを送った。

2011/06/22

KENS-SAC

昨日から今日にかけて、KENS-SAC (Science Advisory Committee)を開催した。この会議は海外を含む外部委員に評価と諮問をしてもらう、というもの。外国人4人、日本人4人の委員に1日かけてこれまでの経緯と現状を説明して、それに対するコメントをもらった。外部委員は大事なお客様、と言うことで機構を挙げて接待し、またこちらも報告書と資料を渡してプレゼンをする、と言う感じで準備段階から大変だったのだが、何とか無事終わった。自分が勉強になっただけでなく、内部の人の話をまとめて聞くことができたのも良かった。

2011/06/20

PFビームタイム

今日からPFのビームタイムなのだが、SACの準備に集中したいと言うことでちょっと顔を出しただけで失礼させてもらった。因みにPFも震災の被害を受けたのだが、再調整は順調に進んだらしく既にいつも通りの運転ができているらしい。元々つくばは東海に比べて震源から遠く、被害が比較的少なかったと言うこともあるだろう。しかしそれ以上に、電子加速器の調整が陽子に比べて遥かに易しい、と言うのもあるのかも知れない。

夕方にはSACの最初のイベントであるWelcome Dinnerがあった。

2011/06/17

続々・SACの準備

昨日に引き続いてSACの発表内容を見直して修正したが、まだまだしっくり来ない。これは週末に仕事をするしかないか?

2011/06/16

続・SACの準備

今日は来週のKENS-SACの発表準備をした。僕の担当はoverviewで、1時間ほど話すことになっている。それだけのネタを用意するのは大変かと思っていたのだが、考えながら並べていると意外にそうでもない。むしろネタを厳選して分かりやすい話に持って行くことに集中した方が良さそうだ。

2011/06/15

産総研のセミナー

午前中は中性子のグループリーダー会議を開いた。午後は産総研に行ってO貫先生のセミナーに出席。終了後にF田さん、S光さんらも交えて議論。更に場所を移してビールを飲みながら盛り上がった。

2011/06/14

つくば→東海→つくば

午前中はつくばで物構研シンポの組織委員会。午後はMLFコア会議があったので東海に行き、終了後にまたつくばに戻って所長と打ち合わせした。

2011/06/13

KENS-SACの準備

今日は昼前に派遣会社の営業が来た。研究者を派遣する、と言うことで名前を良く聞く会社だったが、営業の人はこちらが何をしているのかも知らずに来ていたのに苦笑。思わず、学生に教える先生の気分で説明してしまった。

来週行われるKENS-SACに向けての資料の準備と、CMRCの年次報告書の原稿を作った。

2011/06/10

ERATO視察

午前中はつくばでCMRCのグループリーダー会議。終了後に東海に移動して、ERATOの一行を案内してJ-PARCの被害状況を見てもらった。震災から3ヶ月が過ぎて復旧した部分もあるものの、まだまだ爪痕が残っているところも多い。そう言うところを見てもらって本当の復旧にはまだまだ時間がかかる、と言うことを実感してもらうだけでも貴重な機会だった、と言えるだろう。

ところでイギリス、アメリカと連続で出張したためどれだけ酷い時差ボケが残るか、と警戒していたのだが、昨夜もその前も普通に寝て普通に起きることができたので大丈夫だろう。それぞれの出張が短期間だったことや、途中で帰国したことが効いているのかも知れない。

2011/06/09

SACの準備

KENS-SACまで2週間を切ったので、今日はそのためのStatus Reportの修正と編集を行った。また事務との打ち合わせをした。

午後は責任者会議があり、その後人事委員会に出席した。

2011/06/08

海外出張シリーズ終了

"US-Japan"の出席は1日だけ。6日の夕方にはKnoxville空港近くのホテル(Country Inn & Suits)に宿泊し、7日の朝6時過ぎにチェックアウト。Knoxvilleを8時20分に出る飛行機でシカゴまで行って、ANA便で帰ってきた。6/1からの8日間で乗った飛行機は8便で、それらの搭乗時間のトータルは約56時間。8日間=192時間だから、約30%の時間を飛行機の上で過ごしたことになる。

2011/06/06

US-Japan Steering Committee

今日からORNLで日米協力中性子散乱の運営委員会があった。今日は入構手続きをしなければならない日ということで十分に余裕を持って行ったはずだったのだが、まずはゲートのところで大渋滞。またUsers Officeでも大渋滞で、しかも僕とS山さんは以前受けた入構のためのトレーニングの有効期限が切れていると言うことで、クリアするために散々待たされた。おかげで会議は約30分遅れでのスタートとなった。

午後は運営委員会の中でJ-PARC/MLFの現状について発表した。我々は今のところ12月にビームを受け入れて1月から実験を再開する予定で進めているのだが、特に外国人の委員からは「そんなに早く復旧が終わるはずがない」と言う意見をもらった。

2011/06/05

アメリカへ

11時過ぎに成田空港を出る便でアメリカへ。ワシントンDC経由で14時前にノックスビル空港に到着した。オークリッジは気温が高くTシャツ1枚でも十分な感じで、しかも夕方にはシャワーがあるなどまるで真夏の雰囲気だ。夕食は物性研の人たちとメキシコ料理の店に行った。

2011/06/04

Cotswolds

今日は移動日だったのだが飛行機の時間まで余裕があったので、I上さんにCotswoldsに連れて行ってもらった。ここはオックスフォードから西側に広がる地域で「穏やかな丘陵地帯、静寂な村々」として有名な観光地だとのこと。特に「イングランドを象徴する地域」だと言われているらしい。今回は時間的な余裕が無くて東端にあるBurtonにしか行けなかったのだが、機会があればぜひ一度ここでゆっくりとした時間を過ごしてみたいものだ。

昼過ぎのバスでオックスフォードからヒースロー空港へ向かい、ルフトハンザ便でミュンヘンへ。ミュンヘンから成田は往路と同様にプレミアム・エコノミーだったのだが、今日のエコノミーはそれなりに混んでいたので楽で良かった。

成田に到着して出発前と同じホテルに泊まったのだが、チェックイン後にスーツケースの鍵を紛失したことに気がついた。早速フロントに連絡して鍵屋さんを探してもらい、自分のクルマでJR成田駅前まで行って「ピッキング」してもらって事無きを得た。それにしてもこれだけ迅速に対応できたのは日本国内にいたからであって、出張先で同様のトラブルに遭ったらこう言うわけには行かないだろう。そう言う意味ではイギリスとアメリカの間に日本に帰ってきたのは良かった、と言えるかも。

2011/06/03

ISISとDLS

今日は今回の出張の主な目的であるRAL(Rutherford Appleton Laboratory)の訪問の日だ。物構研の所長、副所長と中性子科学会元会長のE先生に僕とO友さんが連れられてきた、と言う構図である。これまで長年我々の施設とISISとは「日英協力」と言う枠組みの中でつきあってきたのだが、日本側がJ-PARCの立ち上がりと同時に資金的な根拠も無くなったため、自然消滅のような形になりかかっていたのである。今回の訪問はこれまでの「日英」に対する正式なお礼と共に、今後の新しい協力関係をどう構築して行くか、と言うことを相談するのが目的だった。全体の雰囲気としては非常にfriendlyで、どちらも協力関係を維持するのはwelcomeだ、と言う感じ。特にRAL側も中性子、放射光、ミュオン(+レーザー)をプローブとして持つ施設なので、物構研との親和性は非常に良いということになる。今回の話し合いでは具体的な内容に踏み込むことはできなかったが、お互いの基本的な考え方を確認しpersonalに知りあいとなる、と言う点で有意義だった。

午後はDLS (Diamond Light Source)を見学。以前SPring-8にいたI上さんに久々に会えて嬉しかった。

2011/06/01

イギリスへ

昨日泊まったところは空港のすぐ側の高級ホテルだったのだが、ネットで予約したところ1泊6千円弱。しかも14日間は駐車場代が無料である。成田空港近辺の駐車場代の相場は1日500円だから、フルに預ければ宿泊代の元が取れることになる。またつくばからバス(片道2,540円)で往復することを考えると、短期間でもお得だと言える。2週間以上前からの予約ならばもっと安いプランもあるので、これからは海外出張のたびに使わせてもらうことにしよう。

今回は海外出張が連続すると言うことで、プレミアム・エコノミーを使っての出張となった。今回初めて使ってみたのだが、確かにシートは普通のエコノミーよりはゆったりしているものの、リクライニングの角度はフラットからはほど遠く「快適」と言うほどのものでもない。特にこの日の便はエコノミーがガラガラだったので、そちらで3席ぐらい独占して横になった方が楽だっただろう。ロンドン便はプレミアム・エコノミーの設定がなかったのでミュンヘン経由にしたのだが、時間が余計にかかったことを考えるとあまり良いチョイスではなかったかも知れない。

午後7時頃ヒースロー空港に到着し、研究所のクルマでゲストハウスへ。16世紀に建てられたそうだが、中は綺麗に改装されていて快適だ。

2011/05/31

KENS-SACの準備

秘書のGさんから送られてきていたKENS-SACの資料の部分をチェック。また自分が担当のイントロの部分の文章を修正したのだが、副所長から指摘された点が十分に取り入れられているかどうかイマイチ自信がない。しかし本番まであと3週間しかないことと明日からの海外出張を考えるともう時間的余裕がないので、これで一応完成版と言うことにして英文校正に出すことにした。

午後はMLFコア会議に出て、終了後に自宅にいったん戻り成田空港近くのホテルにチェックインした。

2011/05/30

中性子科学会評議員会

朝、警察で国外免許を発行してもらってからつくばの職場へ。いくつか雑用をしていったん帰宅し、昼食を食べてから東京に移動して中性子科学会の評議員会に出席した。

2011/05/25

対話

午前中はE先生の訪問があったので、KENSのこれまでの歴史や今後のことについていろいろと話をした。E先生はかつて学会会長も務めたことのある大物で、KENSから東北大に移り引退してからもいろいろとこちらのことを心配してくれている。今日もISISとの歴史や今後の事などについてアドバイスをもらい、「しんどいとか言ってたらあかん」と励まされた。

午後は人事委員会。またN尾さんから送られて来ていた論文の原稿に目を通してコメントを送った。

2011/05/24

新しいMacBook Pro

午前中は2011B公募に向けてのMLFとCROSSの合同会議があった。J-PARCの復旧計画は先週発表されたが、どちらかと言うと「目標」に近く実際にその通りに行くかどうかはやってみないと分からない。従って実験課題を公募しても採択課題が実施できる保証はできない。とは言え、予定が組めないから公募しない、と言うのも無責任だし、自分たちのビームが出なければ他の施設に課題を移して実施する、と言う可能性もあるので、そのへんも含めて議論した。また午後はMLFコア会議に出て、終わった後つくばに戻ってきた。

ところで最近、妻が使っていた自宅のMacBook Proが不調になった。一応立ち上がるのだが、すぐに画面が真っ暗になって再起動しないといけなくなる。このMacBook ProはインテルMacの最初のモデルで、使い始めてから5年ぐらいになる。CPUはCore DuoなのでLeopardまでしかインストールできないのだが、そこそこ快適に使えていた。(iSightが使えない、と言うトラブルはあったけど。)ずっとバックアップもとらずに使っていたのだが、先月ぐらいに家にHDDが1台あまっていることを思い出して、time machineでバックアップしたばかりだった。不調になってからも一度は追加バックアップできたので、潔く修理は諦めて新しいのを買うことにした。MacBook Proの13インチモデルは94,095円(教育機関向け価格)。これにiPodとプリンタを買うとその代金相当のキャッシュバックがある、と言うキャンペーンをやっていたのでそれも付けた。週末に注文していたのだが今朝には届いて、time machineを繋いでリカバーしたらほとんど前の環境のままで使えるようになった。Appleも昔は高いとか対応が悪いとかいろいろ悪口を言われていたものだが、本当に良くなったものだ。

2011/05/23

AOCNS組織委員会

午前中はつくばキャンパスで物構研責任者会議があったのだが、予想していたより終わった時間が遅かった。急いで東海に行ったものの、午後からのAOCNS組織委員会には遅れて途中からの合流となった。

因みにAOCNSは11月開催なのだが、震災の影響もあって準備が遅れている。特にプログラムの詳細が何も決まっていないので、そこをなるべく早めに解決するのが一番の課題だ、と言えるだろう。

2011/05/20

東海トンボ帰り

午前中はつくばキャンパスで仕事。昼から連絡バスで東海に行って、MLFの復旧対策会議+MLF会議に出席する。バスの時間の関係で途中で退出してつくばに戻ったのだが、途中の友部SA付近で3車線のうち2車線をふさぐ大渋滞が起きていて普段の倍の時間がかかった。

2011/05/19

模様替え

午前中はJ-PARCのディビジョン長会議。午後は東海キャンパス全体会議があった。

ところで今日、東海の部屋のちょっとした模様替えをした。これまでは机を入口の方に向けて窓を背中にするような配置にしていたのだが、iMacの画面に窓の光が反射して非常に見にくい。そこで机を90°回転して壁側に向けて、窓が身体の左手に来るようにした、と言うわけだ。この配置だとデッドスペースが減って部屋が広々とする上に、iMacが壁を背にして立っているため地震で床の上に転落することはない。最初からこうしておけば良かったな。

2011/05/17

原稿書きなど

今日は珍しく何も予定の無い日だったので、〆切がある原稿をいくつか並べて書き始めた。ただ、どれも〆切までは間があるため「切羽詰まった感」が乏しくイマイチ乗りが悪かった。

2011/05/16

つくば→東海

午前中はつくばキャンパスで仕事。午後から東海に行ってMLF復旧会議に出席し、その後東海1号館でいろいろとメールを出した。

2011/05/13

MLF復旧会議

午前中はつくばで仕事をして午後から東海へ。久々にMLF復旧会議に出たのだが、MLF会議を兼ねていてしかもディビジョン長も不在だったので、急きょ全体に関しての報告をすることになった。何も準備をしていなかったので少々焦ったが、行って良かった。

2011/05/12

会議@つくば×3

午前中は中性子GL会議。早めに終わろう、と思って始めたのだが、2つほど議論になったことがあっていつも通り12時過ぎまでかかった。その後すぐに11時から始まっていた北大との打ち合わせに合流。3時からはCMRCの会議があり、前半は物構研シンポのプログラムについて議論した。

J-PARCの一日

今日は朝から東海に行って、まずはセンター長との打ち合わせ。続いてディビジョン長会議に出た。また午後はセンター会議を聞いていたが、その合間に色々なところから舞い込んできたメールに一つ一つ対応した。

2011/05/10

Neutrons in Soft Matter

今日は1日つくばの日。午前中はA井さんとSkypeで打ち合わせをしたり、提出を求められている書類を作ったりしていた。また午後は主にKENS-SACに出すための報告書の原稿を作り、明日のGL会議の議案を作って送った。

ところで今日、Wileyから本を送ってきた。"Neutrons in Soft Matter"と言う解説書で、20数人による分担執筆である。僕もその中の1人として、中性子小角散乱のデータ解析法について書いた。もともとは2000年にエジプトで小角散乱について講義をした時に、テキストを出版するから書いてくれ、と言われて作った原稿が元なのだが、結局エジプトからは出版された形跡が無いので特に問題はないであろう。因みにこの本全体を見てみると、章ごとに書いている人が違うせいか内容的にダブっているところが見られる。従って全体を通しで読む人にとっては、冗長なテキストなのではないだろうか。ただ逆にどこかの章を適当に拾い読みしてもそこだけで完結しているので、手元において必要なところだけ見る、と言う読み方なら良いかも知れない。

2011/05/09

責任者会議など

午前中は物構研責任者会議。午後はJ-PARC復旧連絡会に出るために東海に移動した。高速道路を走っている途中で突然眠くなり、これはやばいと思ってPAで仮眠。時間的には10分ぐらいだったと思うが、おかげですっきりした。(ただし、そのおかげで会議には若干の遅刻。)

その後A井さんと打ち合わせをしようと思って連絡したのだが、都合が合わずに断念。空いた時間に、Y田出版から頼まれている原稿を仕上げて送った。今回は良く知っている「両親媒性分子」の部分を書いたので、書きたいことがたくさんあってそれはそれで大変だった。

2011/05/06

原稿書き

今日はGW連休後半の中日。月曜日に休みを取った僕にとって今日を休みにすれば10連休になるのだが、だからと言ってどこかに観光に行くわけでもないので出勤した。そのおかげで事務との連絡もできたし、またY田出版からの依頼原稿もだいぶ進んだ。

2011/04/28

技師発表会

午前中は東海へ。ディビジョン長会議に十分に間に合うように行ったはずだったのだが、途中で渋滞していたりI田さんとのTV会議があったりして半分しか出れなかった。

弁当を食べてつくばに戻り、業者との打ち合わせ。その後KENSの技師発表会に出席する。この1年間に何をしたか、と言うことをそれぞれで発表したのだが、なかなか面白かった。やはり仕事が独りよがりにならないためには、話をまとめて聞いてもらう、と言うことが大事なのだな、と思った。

2011/04/27

出前授業

今日は呉高専で出前授業。高専に行ったのは初めてだったのだが、まさに高校と大学の間、と言う雰囲気。授業は大学の3,4年生にあたる「専攻科」で行ったのだが、興味津々で聞いている学生がいる一方で爆睡している子もいたりして、まさに学部で講義しているような感じだった。

授業が終わった後は呉でゆっくりし、広島経由で空港に行ってつくばに戻る。

2011/04/26

呉へ

昨日の午前中は物構研責任者会議で午後は物構研の運営会議。今日の午前中は物構研の所長懇談会があり、それぞれで中性子の現状(被災状況とNIACについて)について説明した。また今日の午後は登録機関との連携の会議が東海であったので、最初の45分間だけ出席する。そしていったん自宅に戻り、TXに飛び乗って羽田空港から広島へ。明日の呉高専での出張講義に備えて呉に移動した。広島空港から呉までのバスがあると信じて来たのだが、何と先月いっぱいで運行休止になっていたとのこと。止むなく広島経由で2時間かけて、11時にようやくホテルに着いた。

ところでこれらの会議の合間に、何度かCMRCの外部資金の申請に関する打ち合わせを行った。ターゲットは触媒と言うことだったのでどれだけ役に立てるか分からない話だったのだが、いろいろ調べ、また専門家の話を聞くうちに面白さが分かってきた。会議のためにあちこちに行かなければならない状況の中でこの話に絡むのは大変なのだが、それでもサイエンスの話なので面白い。

2011/04/22

広報企画委員会

午前中はJ-PARC運営会議。東海での開催だったのだが、つくばからTV会議で参加した。

午後は機構の広報企画委員会に出席した。この会議は広報全体に関する戦略を考えるところなのだが、要は社会との接点をどうするか、ということだ。社会との接点、と言っても相手側が誰かによって様々なバリエーションがあるわけで、その辺の普通の人の場合と政府の役人を対象とする場合とでは全く違う戦略が必要になる。その他にも小中学生の場合、高校生の場合、大学生の場合。理系の人の場合と文系の人の場合。オカルト好きの人の場合や科学オタクの場合など、様々な人に関心を持ってもらい、かつ正しく知ってもらうことが必要だ。これらの対象となる人々のうち、どこにどのように重点を置きどのように広報活動を展開して行くか。予算と人が限られている中で、なかなか難しいものだ。

2011/04/21

復旧はいつか?

午前中は東海でディビジョン長会議が、午後はつくばでJ-PARC調整会議があった。どちらの会議も震災の被害についての話題が中心だったが、誰もが気になるのは「いつ復旧するか」と言うことだ。J-PARC全体で見ると機器の損傷は思ったほど酷くはなく最悪の事態は免れているようだが、ただだからと言ってそう簡単に復旧すると言うものでもない。特に水や電気などのインフラの復旧には金も時間もかかるので、それがどういうペースで修理できるか、が律速になっていると言える。今日の会議では上層部は一様に「一刻も早く復旧を」と考えているのだが、それをどのようにやって行くかと言う点での合意はできていない、と言う印象を受けた。

夕方はCMRCで大きな研究費を取りに行くための戦略を練った。こちらも話がまとまった、とは言えないのだが、サイエンス中心のブレインストーミングをするのは楽しかった。

2011/04/20

中性子GL会議

今日の午前中は中性子のGL会議。このところ補正予算関連で集まって話すことが多かったので、今日は11時過ぎには終わることができた。

午後は主に、来週呉高専ですることになっている「出前授業」の準備をしていた。

2011/04/19

雨の日

今日は朝から強い雨が降り風も吹き、時折雷も鳴るなど激しい天候だった。午前中東海でJ-PARCの震災対策会議があったのだが無理に行かずに、つくばで仕事をしていた。

2011/04/18

iMac帰還

午前中は中性子・ミュオンの教授会。午後はつくばに戻って、今日〆切の科研費の交付申請書と物構研運営会議に向けての報告書を作った。

ところで今日、AppleからiMacが戻ってきた。これは震災発生時に机から転落して、前面のガラスが粉々になったもの。Appleで無償修理をしてくれると言うので、ちょっと前に送ったものだった。早速チェックしてみたのだが、中身はそのままで破損した部分が全部綺麗になって戻ってきていた。以前はユーザーサポートがどうのこうの、と批判されたこともあるAppleだが、震災で壊れたものを全て(保証のある無しにかかわらず)無償で修理してくれる、と言う対応は素晴らしい。しかも思っていたよりも早く戻ってきたのには感心した。大学院生の時以来、Appleとは四半世紀に渡って付きあってきたのだが、ここまでAppleで良かった、と思ったのは初めてかも知れない。

2011/04/15

つくばソフトマターの宴会

午前中はディビジョン長会議。午後はMLFの復旧対策会議。その後つくばに戻り、少々話をして夕方の「つくばソフトマター」の宴会に行く。今回「3/11」をテーマに参加者全員に話してもらったのだが、つくばに住んでいる人いない人、つくばに住もうと思っていた人、地震で被害を受けた人、受けなかった人等それぞれでドラマがあって面白かった。

2011/04/14

予備ヒアリング

今日の午前中は、研究推進会議による予備ヒアリングがあった。基盤Sのヒアリングに進んだ人のプレゼンを聞いて色々と意見を言う、と言うもので、1時間ほどつきあった。今回僕は基盤Sに出したもののヒアリングには進めなかったわけだが、いつかあるかも知れない機会のため、と思えば有益だった。

2011/04/13

節電と余震と

今日は昼から機構の大震災対策本部会議。夕方はCMRCのプロジェクトリーダー会議があった。またその後、S包くんと論文に関する打ち合わせをした。

ところで震災以来、職場はずっと節電モードでやっている。大量の電気を使う加速器の運転をするウチの研究所は東電にとっての「大口ユーザ」なのだが、とにかく電気が足りない時である。この1ヶ月、研究所内では電灯も暖房も使わず実験装置も使わず、とにかく最小限の電力でやって来た。しかしながら電力が無ければ装置が壊れているかどうかのチェックもできないため、徐々に使用電力量の緩和が予定されているとのこと。今月末からはいよいよ加速器にも火を入れて行き、順調に行けば夏前にもビームを出して調整を行って、秋にはユーザを受け入れる可能性もあるらしい。ただ全国的な電力事情がどうなるかによっては、使用を遠慮する事態にもなるはず。一般の生活に迷惑をかけてまで加速器を運転するわけにもいかないので、なかなか困ったことである。

そして、それ以上に気になるのは余震である。4/7に宮城県沖でM7.4があったのに続いて一昨日は福島県浜通りのM7.1と茨城県北部のM5.9、そして昨日は千葉県沖と福島県浜通りのM6.3。これで終わりかと思えばさにあらずで、今朝も福島県でM5.8の地震があった。これだけ強い地震が続くとせっかく復旧させてもまた元の木阿弥、と言う感じにもなり兼ねず、むしろこれ以上被害を拡大しないようにも考えなければならない。復旧の予算が付くかどうかも良く分からないし、全く困ったものだ。

2011/04/12

臨時GL会議

朝は医者に寄って血液検査をしてもらってから出勤。尿酸値は安定していた。11時から臨時のグループリーダー会議を開いて、今年度のプロジェクト経費の使い方と震災復旧の方策について議論した。

午後はちょっと時間ができたので、ホームページのトップページや「研究」の部分を修正。またアニュアルレポートの原稿を書いたりした。

2011/04/11

余震

午前中は物構研責任者会議。午後は人事委員会があった。また昼休みには科研費で購入しようとしている物品に関して業者と打ち合わせをした。

ところで今日の人事委員会の最中に大きな地震があった。つくば市は震度5弱と言うことで、4/7の余震よりも更に大きなものだった。研究所は特に大きな被害はなかったが、自宅ではいくつか棚から物が落ちて壊れたものもあった。その後も何度も地震があって、とても「余震」のレベルだとは思えない。

2011/04/08

原子力機構

昨日ディビジョン長が終わった後に顔なじみの業者と立ち話をしたのだが、原子力機構がお金を払ってくれなくて困っているらしい。昨年度の契約で年度内に納品を済ませていたのだが、地震のために納品検収(発注した物品等の品質、性能等の検査を行い、合格であれば受領すること)ができず、それを理由に支払いをしてくれないのだそうだ。原子力機構のお金はもともとは国民の税金なので、仕様書通りにできている事を確認してから払うのは当然ではあるのだが、しかしこのような未曾有の震災の時である。多少柔軟に運用してもバチは当たらないであろう。実際(その業者が言うには)KEKは簡単な検査で納品検収を済ませてお金を払ったらしいのだが、原子力機構は「地震保険があるだろう」とか言って払ってくれないのだそうだ。業者にしてみれば、予定通りにお金が来なければ資金繰りに苦しむことになるのは当然のこと。保険に入っていると言っても十分な額が出るわけではないので、「このままでは倒産してしまう」と悲痛な顔をしていた。原発問題で原子力機構も大変なのかも知れないが、真面目な業者を泣かすようなことは止めて欲しいものだ。

2011/04/07

ディビジョン長会議と打ち合わせ

午前中はディビジョン長会議。昼食後にA井MLFディビジョン長と打ち合わせをし、その後MLF復旧対策会議に顔を出す。そして夕方はソフトマターグループで研究の打ち合わせをして、来週渡独するS包くんの歓送会をした。

2011/04/06

中性子科学会拡大評議員会

午前中は研究所へ行き、メールなどへの対応をした。

午後から中性子科学会の拡大評議員会のため東大物性研へ。評議員の他にも新旧の幹事がいたため、賑やかな会議だった。

2011/04/05

会議×3

午前中は利用促進チーム会議。MLFの課題と今後について議論した。特に登録機関となったCROSSとの協力について話し合った。

午後はまずMLFの復旧に向けての会議。続いて、KENSの全体会議を開いて今後の事について話し合った。

2011/04/04

科研費

夕方、事務から科研費基盤Aの内定通知が来たと言う知らせがあった。3年前に基盤Cが切れてから、久々の採択である。

科研費はいつでも「当たれ!」と願いながら申請しているのだが、今年は特に特定領域が終わった後だと言うことで「当たらないと困る」と言う状況だった。申請した研究の内容は着々と成果が出つつあるものだし、申請書も時間をかけて作成した自信作だったのだが、それでもどう評価されるかは別。ほぼ同内容で申請した基盤Sは面接にも行けなかったこともあって、4/1に通知が来なかった時には「もうだめかも」と思って諦めかけていた。大震災のおかげでJ-PARCもPFもダメージを受けて色々なことが停滞しつつある時期だっただけに、今回の採択はことのほか嬉しい。

ところで帰宅後、震災直後から行方不明になっていた伯父が見つかった、と言う知らせを受けた。浪江町に住んでいたのだが、地震の後の原発事故のため家族がバラバラに避難していため、連絡が取れなかったらしい。聞くところによると、避難民のうち役場に把握されていない人はみんな行方不明者扱いになっているとか。報道では行方不明者は1万5千人と言うことになっているが、そのうち相当数は「所在不明だが生きている」と言うことなのかも知れないし、またそうあってほしい。

2011/04/01

会議×2

午後は会議が2つ。まずはKEKの大震災対策本部会議、続いてJ-PARC研究推進会議による報告会があった。それぞれ震災後の状況報告が中心だったのだが、個人的に新しい情報はほとんど無かった。まあ、それでも会議に出て聞かなければならないのだが。

午前中はAnnual Reportの原稿作り。午後は会議の後にSNS申請のため(と言っても自分のためではないか)のテンプレ作りをした。

2011/03/31

被害の現状

午前中はディビジョン長会議。午後はJ-PARCセンター会議で、いずれも被害の現状についての報告がメインだった。ざっと聞いた感じではリニアックと3GeV RCSが重く、MRとニュートリノ、ハドロンは軽傷、と言う感じ。MLFは増設建屋はひどいがそれ以外は見た目は悪くないので、ちょうど半々と言うところだろうか。早く電気を通したりクレーンを使ったりして中の装置の健全性を確認したいのだが、安全性の面でなかなか進まないのがもどかしい。

2011/03/30

打ち合わせ×3

今日は東海で打ち合わせが3つあった。まず午前中は海外施設の利用について。今回の震災に際して海外の中性子実験施設からサポートのオファーがあったので、それにどう対応するかと言うことについてJAEA、物性研の責任者を交えて相談した。

午後はJ-PARC/MLFの今後の課題審査等についての打ち合わせ。「共用促進法」の下でユーザー対応をすることになるCROSSと実質的な議論を行った。そして最後にソフトマターGのミーティングをやった。KEKは節電のため暖房を入れないようにしているのだが、その事情は東海も同じ。今日は日差しがあって外はそれなりに暖かかったので、午後は窓を開けて仕事をしていた。

2011/03/29

物構研責任者会議

午前中は物構研責任者会議。主に震災の被害と復旧計画について話し合った。午後は部屋で「KEK物理学シリーズ」の原稿執筆をした。

2011/03/28

iMac無償修理

3/22付けでアップルが「東日本大震災による被災地向け特別修理サービス」を発表しているのを見つけたので、早速連絡を取ってみた。それによると東海村は「災害救助法適用市町村」に該当すると言うことで、机から転落して前面ガラスが割れたiMacを無償で修理してもらえることになった。ざっと調べたところデルが無償修理・部品無償交換サービスを実施するとしているが、こちらは保証期間内のものだけ。NECや東芝、日本HP等は(割引があるものの)有償なので、このアップルの対応は画期的なものだと言えるだろう。

今日は午前中と午後にMLFの震災復旧に関する会議があった。また午前中の会議のあとに初めてMLFに入り、被害状況を確認してきた。照明がついたものの機器に通電できないので目で見ただけだが、増設建屋部分の沈降により床に数10cmの段差ができている、と言うのは衝撃的だった。また積み木のように組み上げていた数t〜数十tの遮蔽体ブロックが動かされ、至る所に隙間が出来ているのも驚いた。

2011/03/25

Hot Article

東海はヘンデル棟の復旧作業と言うことだったので行かず、またつくばでも会議が無かったので一日中自分のオフィスで仕事。「KEK物理学シリーズ」執筆のための準備をしていた。

ところで昨日S野くんから、Soft Matterに投稿していた論文にページ番号がついたと言う連絡があった。またRoyal Society of Chemistryのブログで"Hot Article"として取り上げられた、と言うことも分かった。このところ暗い話ばかりだった中で、久々に良いニュースだった。

2011/03/24

石油ファンヒーターを使う

今日は自宅の石油ファンヒーターを持って出勤。途中のガソリンスタンドでは並ぶことなくガソリンも灯油も買うことができた。おかげで、オフィスで寒さに震えることなく仕事ができた。

午後は大震災対策本部会議が行われた。これまで一部の建物にしか電力が供給されていなかったのだが、来週月曜日には全部の建物、施設に給電されることになる。またガスも明日には通る予定だとのことで、少しずつ復旧に向けて進んで行く。

2011/03/23

東海に行ってみたら

午前中はつくばキャンパスへ。僕のオフィスがある4号館に電気が通り、ネットが使えるようになって何とか仕事ができるようになった。

午後から業務連絡バスに乗って東海キャンパスに行ってみた。震災後初めて自分の部屋に入ったのだが、買って1年のiMacが机から転落して前面のガラスが粉々になっていた。本棚の本も床の上に散乱し、観葉植物も倒れるなど散々な様子だったが、1時間ほど頑張って何とか片づけることができた。

2011/03/22

震災対策は続く

今日はKEKのメンバーが10人以上東海に行き、主に東海1号館の復旧作業をしてきた。あちらは電気も水道も通ったようで、ネットも有線は使えるようになったこと。寒いのと電話が不自由な事を除けば、何とか通常業務ができるようになったようだ。

つくばでは、午前中はJ-PARC研究推進会議、午後は震災対策会議が行われた。今日は気温が低くて暖房の無い部屋で仕事をしているのはとても辛かった。

2011/03/19

3/22,23の行動計画

今日の夕方、僕の自宅にK山さんとO友さんに来てもらって、来週の復興計画について話し合い火曜日、水曜日の行動計画を立てた。

2011/03/18

震災対策会議2つ

今日は10時からKEKのJ-PARC研究推進会議が行われ、昨日の現地での視察の結果や今後の方針などについて話し合った。一昨日は情報不足で良く分からない点も多かったのだが、今日はある程度具体的に話すことができた。ただ、一番難しいのは移動の問題。東海に行ってもライフラインが整っていないし、つくばから行きたくてもガソリン不足が邪魔をする。また東海で必要なところに十分な電気が供給されていないと言うことも、難しさを助長している。

午後はいつもの震災対策本部会議が行われた。その中で福島原発の事故で発生した放射性物質がつくばにどのように影響しているか、と言う話が気になるところだ。機構で測定している環境放射能はホームページに公開している。それによると多少は影響はあるものの、被曝が問題になるほどではなくしかも着々と減衰しているらしい。原発が今後どうなるか予断を許さないところはあるのだが、当面は問題ないと言えそうだ。

2011/03/17

自宅勤務3日目

今日も午前中は自宅で仕事。頼まれていた原稿執筆を少し進めた。

昼前に自転車で出勤して、震災対策本部会議に出席する。今日はつくば側ではあまり新しいことは無かったが、東海側で何人か集まって打ち合わせや視察をしたようで、かなり状況が分かってきた。東海は水や食糧の供給の点でつくばより条件が悪いものの、危険だとか生きて行けないとか言うことはない模様。むしろ電力供給の制限が無い分、つくば側よりもましかも知れない。明日はつくば側で会議があるので行けないが、来週になったら一度行ってみることにしよう。

2011/03/16

自宅勤務2日目

朝から郵便局へ行き、高分子学会の会費を払う。また開店前からスーパーに並んで、食料品を買ってきた。

昼前に職場へ行き、震災対策本部会議に出る。その後夕方の会議まで待とうと思ったのだが、節電のため暖房を使っていないため寒くてたまらずいったん自宅へ。途中で空いているガソリンスタンドに行列を作っているのをあちこちで見た。

夕方のJ-PARC対策会議は50人近く集まって席に座れない人も多かった。ところがJ-PARCはまだ電気が通じていないため状況が分からず、また電気が通らない理由や対策はJAEAの人でないと分からないことも多いと言うことで、あまり情報が得られないままに終わった。

2011/03/15

自宅勤務1日目

昨日から自宅待機が命ぜられたので、朝は朝食を作ったり洗濯したりと家事をした。また医者に行って花粉症の薬をもらってきた。

午後は(ガソリン節約と健康のため)自転車で出勤し、震災対策本部会議に出席した。福島原発の事故による放射能の影響はつくばでも出ていたらしく、自然放射線の10倍程度の数値が出た時間帯があったそうだ。ただ時間は短く許容線量よりもずっと下なので、特に健康被害が心配されるほどではない。その一方で東海ではかなり高い値(つくばの5倍ほど)が出ていたとのこと。津波の心配もまだあると言うことなので、今週中は極力東海に行かないようにとの指示が出た。また、自宅待機の期間も今週一杯に延長された。

その後臨時で連絡網を構築して、重要な事項を電話連絡。その後家に戻って内部の掲示板にアップし、生活用品を買いに出た。

2011/03/14

震災対策本部

朝は10時から機構長からのメッセージが全館放送されると言うことで4号館に行ったら、中性子の人々が集まっていた。内容的には昨日聞いたことだけだったのだが、「個人の安全が最優先」と言う基本方針が確認できて良かった。そして中性子のメンバーに今後の連絡方法を確認し、少なくとも水曜日までは自宅勤務と言うことを伝えて散会した。

午後は大地震対策本部の会議に出席し、内容をGoogleにSさんが作ったDiscussionにアップした。また夕方は計画停電があると言う話だったので心配していたのだが、結局無くて助かった。水も順調に流れてきているし、あとは食糧やガソリンなどの生活物資が普通に手に入るようになれば、通常の生活が送れるようになる。

2011/03/13

震災3日目

朝から部屋の片づけを再開するとともに、水の確保に走る。二ノ宮公園で行われていた給水に2度行ったおかげでトイレの水を流せて助かったが、午後につくば市役所に行った時には水が届かず断念せざるをえなかった。ただ幸いにも7時ぐらいからちょろちょろと出始めたので、3日ぶりに風呂に入ることができた。

家族が避難するため京都に向かったので、夕方頃KEKに行ってみた。建物や部屋の被害はたいしたことは無かったのだが、加速器等の装置はかなりの打撃を受けているとのこと。ただ水も電気も来ていないため、被害状況を確認することもままならない。4時から機構全体の対策会議が開かれたのだが、東海の状況が分からないため当面は様子見するしか無さそうだ。

2011/03/12

つくばへの道

朝起きてテレビを見たところ常磐線は7時ごろ再開と言うことだったので、まずは金町駅に行ってみた。ところが各駅停車は再開の目処が立っていない、とのことだったので、快速は動くかも知れない、と言う望みを持って松戸まで行った。しかし残念ながら状況は一緒。松戸まで来る電車はあってもそこから北に向かう電車は無いと言うことだったので、しばらく喫茶店で休養を取った。

10時ごろ駅に行って見るとちょうど運転を再開したところだったようで、下り線の快速が到着した。ところが先行列車が慎重に進んでいたため発車できず、1時間近く立ち往生。その間、我孫子行きの各停は動いていたので、多くの人が別のホームの方に走って行った。そのおかげで「超満員」だった電車は「満員」ぐらいになり、移動はまだましになった。

取手から先は常磐線、常総鉄道ともに動く気配が無かったので自宅に電話していったんは迎えに来てもらうことにしたのだが、しかし関東鉄道がつくばセンター行きの臨時バスを出してくれることが分かったのでそれに乗ることにした。最初、道路が渋滞で時間がかかると言う話だったのだが、空いている道を選んで走っていたためか特に問題なく走って、2時半頃つくばに到着した。

自宅では大地震と余震で疲れ切った家族が待っていたので、一緒に割れて散乱した食器などを片づける。つくば市内は断水が続いているのだが電気、ガス、電話等の他のライフラインは生きているのでそれほど不自由はない。後は水道の復旧を待つだけだ。

2011/03/11

帰宅難民

霞が関のJAEA東京事務所でMLF施設利用委員会があったのだが、その最中に地震が発生した。震源から遠かったにも関わらず大きく揺れたこともあって、「これはまずい」と言うことで会議は中止。各自で自宅に向かうことになった。僕は新橋駅で1時間ほど様子を見て、安全だと判断してまずは東京駅まで徒歩で移動。つくば行きのバスは動いていなかったので、秋葉原まで歩いて行ってみることにした。しかし残念ながらTXは動かないことが判明したので、とりあえずは腹ごしらえ。ファーストフード店はどこも人が一杯で、何とかココイチで夕食にありつくことができた。

その後御徒町のコンビニでトイレを済ませ、地図と水を買って6号線沿いに出発した。6号線の車道は上下線とも大渋滞。歩道も大勢が東京を離れる方向に歩いていて、時折歩きにくくなるほどだった。また途中の自転車屋は大はやりで、多くの人が自宅に戻る足にするため自転車を買い求めていた。

私は結局20kmほど歩いてようやく金町駅に到着。親戚の家に転がり込んで一夜を過ごした。

2011/03/10

Granek Symposium

今日はイスラエルのRony Granekが来ていると言うことで、首都大で行われた"Granek Symposium"に出席してきた。

2011/03/09

中性子GL会議と物構研責任者会議

今日の午前中は月イチの中性子GL会議。午後は物構研責任者会議があった。その中で来年度の役割分担などを決めた。

2011/03/08

つくばソフトマター2011

昨日と今日は東大柏キャンパスで研究会「つくばソフトマター2011」が行われた。この「つくソフ」の過去2回はつくば市内(筑波大と産総研)だったのだが、今年は拡大解釈して(TX沿線ということで)初めてつくば市以外での開催となった。世話人をお願いした物性研の方々が働いてくれたのだが、そのおかげでこれまでに無いほど立派な研究会になった。僕は最後にclosing remarkを話したのだが、やや気負い過ぎたかも。少なくとも京大からゲスト参加したO先生から見ると「若気の至り」みたいに思ったに違いない。

2011/03/04

MSPRC

今日はMSPRC (Muon Science Proposal Review Committee)のためにJAEA東京事務所へ行った。午前中は分科会、午後は全体会だったのだが、そもそもproposalの数が少ない上に装置も1つしかないので、めちゃくちゃ楽だった。

つくばに戻った後にKEKに行き、PFの実験に来ていたS野くんらと議論した。

2011/03/03

NSPRC

今日はNSPRC (Neutron Science Proposal Review Committee) が行われた。今回はレフェリーの評点集めをしっかりとやり、また(たまたまだが)分科会ごとの評点のばらつきもなかったのでスムーズに行くかと思えばさにあらず。複数のビームラインをまたがった課題の扱いで混乱して、一時はどうなることかと思った。幸い競争率の高いBLが少なかったため何とか終えることはできたのだが、今後に向けての課題が残った。

2011/03/02

東海3日目

NIAC-2のために東海に泊まり込んで3日目。今日のNIACはclosed sessionがメインだったので、summaryセッションと夕食会以外はKEKの仕事をした。午前中は事務職員採用に関する面接をし、午後は「日台」に向けての打ち合わせとソフトマターGのミーティングをした。

2011/03/01

NIAC-2 2nd day

NIAC-2の2日目の今日は、主に中性子利用関係の報告があった。午前中は昨日に続いて聞き役に徹し、午後の後半はUser ProgramとOut-reachについて報告した。

午後の前半は中座してNSE建設についての打ち合わせを行った。今回は東海-つくば-熊取を結んだ多元TV会議がうまくいって良かった。

2011/02/28

NIAC-2

今日からJ-PARCの2nd Neutron International Advisory Committee (NIAC-2)が始まった。海外からの委員6人を含んだ9人を相手に運営や装置・デバイス開発、研究の現状を紹介してアドバイスをもらうというもので、J-PARCの中性子にとっては重要な年間イベントの一つだ。今日は全体の話と中性子源の話が中心で、僕は他の仕事をしながら聞き役に徹した。

2011/02/25

CMRCプロジェクトリーダー会議

今日は振替休日に指定されているためつくばで過ごす。昼過ぎに富士実験室に保管中の試料環境装置の様子を見に行き、3時から構造物性センターのプロジェクトリーダー会議に出た。

2011/02/24

小角散乱とNSE

午前中は小角散乱研究会の続きで、企業の人の発表が面白かった。午後は隣の建物に場所を移して、NSEの研究会。こちらは半日だけの開催で参加者もずっと少なかったのだが、密度の濃い議論ができた。

2011/02/23

小角散乱解析法研究会

今日から京大原子炉で行われる「小角散乱解析法研究会」のため熊取に行った。今回は聞くだけの参加で、気楽にいろいろな話が聞けて面白い。その中で、特にS藤さんの「天然変成蛋白質」の話が面白かった。

2011/02/22

課題審査に向けて

午前中IACにちょっとだけ顔を出し、「利用促進チーム」の会議を開く。来週行われる課題審査委員会とその翌週の施設利用委員会の準備を行った。

午後はORNLのproposalを書く。〆切直前になってしまったのでじっくり考える余裕が無く、思いつくままにざっと書いて共同研究者に送った。

2011/02/21

J-PARC IAC

今日はJ-PARCのInternational Advisory Committeeの日だったので、朝からいばらき量子ビームセンターに詰めていた。僕は話をする必要はなく聞くだけだったのだが、これまで出たことが無かったので良い経験になった。

ところで、中性子の課題採択のプロセスの中でサイエンスに関する議論をしないのかと言う質問があったのだが、これにちゃんと答えられていなかったのにはいささか驚いた。サイエンスポリシーはJAEAとKEKでそれぞれにミッションに基づいて決める、と言うことは昔から合意されていたはずで、そのへんの事情は委員にも伝わっているのだろうと思っていたのだが。

2011/02/18

NIACの準備

今日は振替休日に指定していたため東海には行けなかったので、MLF会議にはTVで出席した。

午後は主にNIAC(Neutron International Advisory Committee)の準備。いろいろ資料を集めて、何とか20分ぐらい話すネタを作った。

2011/02/17

責任者会議

朝、PFに行って実験終了後の片づけを手伝ったりする。午後は物構研責任者会議。空き時間に再来週のNeutron International Advisory Committeeの準備をしたのだが、結構やらなければならないことが多く完成には遠い状態で終わってしまった。今日がサーバへのアップロードの期限だったのだが止むを得まい。

2011/02/16

J-PARC利用者協議会

午前中は「J-PARC利用者協議会」のためにJAEA東京事務所に行ってきた。これはJ-PARCの方針について関係コミュニティの代表と協議をする、と言うのが目的で、J-PARC側の重要ポストにいる人と各学会の代表者らが一同に会して運営などについて議論した。

因みにJAEA東京事務所は霞が関のビルの中にあるのだが、そのビルはこの前まで新生銀行本店で物々しい雰囲気だった。ところが今日は閑散としていて人気はほとんど無し。どうやら新生銀行は他所に移ってしまったらしく、そのビルのほとんどの部分は空き家になっていた。このビルは新生銀行の前身である長銀の本店をそのまま引き継いだもので、ユニークな形は内幸町の「ランドマーク」とも言われていたのだとか。それを新生銀行は「資産の有効活用」のために外資に売却していたらしく、その時の約束通り3年以内に退去した、ということだそうだ。これからここに何が入るのか、またJAEA東京事務所がどうなるのか分からないが、今まで何度も来たところなだけに少々寂しい感じはする。

午後はつくばに戻り、PFの実験組に合流した。

2011/02/15

PFとJ-PARC

午前中は「元京大グループ」と共にPFで小角散乱実験。昼から東海に移動して、J-PARC/MLFのコア会議に出る。そしてソフトマターグループミーティングで「日台」について打ち合わせをした。

2011/02/14

インターンシップ

先週から韓国の学生がJ-PARCに「インターンシップ」のために来ているのだが、今日はMLFの担当の日と言うことで午前中講義をした。中性子散乱の話を1時間ほどしたのだが、ハードスケジュールなのにも関わらず学生たちは一生懸命聞いていた。

午後は「日台」のプログラムを作ったり雑用をする。そして6時からの「NIAC対応打ち合わせ」に出て帰宅した。

2011/02/11

日本全国雪の日

今日は日本列島が冬型の気圧配置に包まれていて、いずこも雪が降っている。ここつくばも朝から断続的に雪が降っているのだが、まだ積もるまでにはなっていない。

そんな中、午前中からKEKで行われた人事委員会に出席した。共通基盤の助教なのだが候補者のレベルが高く、思ったよりも時間がかかった。

2011/02/10

論文受理

今朝、吉川研OBのS野くんから論文が受理された、との連絡があった。論文受理は今月に入ってから3本目で、出版された2本を含めると論文5本のstatusが変わったことになる。今日受理された論文は数年前からいろいろな雑誌を渡り歩き、今回の投稿後も何ヶ月もレフェリーコメントが来なかったもの。他の論文はいずれも昨年書かれたものだが、それぞれ違う時期から書き始めてそれぞれで時間をかけてここまで来た。それらが半月も経たないうちにいっぺんに受理されたり出版されたりするとは、巡り合わせにしても珍しい。

今日は1日東海で、午前中はディビジョン長会議が、午後はJ-PARCセンター会議と量子ビーム構造物性セミナーがあった。センター会議では茨城県の産業利用に関する話を、セミナーでは磁性薄膜の話を聞いたのだが、それぞれがなかなか(想像していた以上に)面白かった。

2011/02/09

中性子GL会議

午前中は月イチの中性子GL会議を行った。午後は来週の韓国人学生相手の「インターンシップ」でやる講義の準備をした。

ところで今日、Soft Matterの論文とTさんの論文(J. Colloid Interf. Sci.)のページが来たので、早速HPに掲載した。

2011/02/08

柏→東海

今日は午前中は柏へ行って物性研の研究会に出席。特定領域と同じ内容で発表した。その後東海へ移動して、MLF運営調整会議にオブザーバーとして参加した。

2011/02/07

東海→つくば→柏

今日は朝から東海に行って、A井さんとNSEの建設についての打ち合わせをした。続いてつくばに移動して所長と打ち合わせ。昼食後には機構長ヒアリングに同席して、中性子に関する質問に答えた。そして柏に行って物性研の研究会に出席。3つの都市をまたにかけた濃密な1日だった。

2011/02/04

今週最後の...

午前中はMLF会議にK野さんと一緒にTVで出席した。

午後は今週最後の人事委員会。技術職員の所内公募に応募した人の面接に立ち会った。

2011/02/03

人事委員会×2

午前中は共通基盤の、午後は加速器の人事委員会があった。今回は応募者は少なかったのだが、その分いくつかの人事をまとめてやったので時間はかかった。

2011/02/02

東海→つくば

午前中は東海へ。「利用促進チーム会議」を開いてJ-PARCの課題審査の現状について議論し今後の方針を決めた。その後つくばに戻って共通基盤施設の人事委員会に出席。思ったより早めに終わったので、自分の部屋のパソコンのメインテナンスをした。

2011/02/01

会議×3@東海

今日は東海での会議の日。午前中は中性子ミュオンの教授会。午後はKEK東海キャンパスの実験室についてのWGがあり、続いて登録機関との連携に関する会議があった。

2011/01/31

学術会議シンポジウム

午前中はスピンエコー装置建設に関する打ち合わせ。つくば、東海、熊取の三点でマルチ会議をやろうとしたのだが、東海からは繋ぐことができずに終わった。

昼から学術会議の「学術の大型施設計画・大型研究計画(マスタープラン)に関する物理系シンポジウム」に出席した。これは学術会議が出しているマスタープランについて議論すると言うもの。午前中は高エネルギー物理と原子力、午後は天文、プラズマ、スパコン、物質科学に関して、それぞれのコミュニティの代表が発表した。物質科学は物性研所長がミュオン、中性子、放射光、強磁場、物質開発のそれぞれの計画について紹介したのだが、濃厚な内容を分かりやすく的確に説明していたのには感服した。

2011/01/28

人事委員会1日目

今日は一日中加速器の人事委員会。20人ぐらいの候補者がいるのだが全員を面接することになっている。今日は半分だけだったのだが、朝から夕方までずっと続いて気が休まる暇もなく疲れた。

2011/01/27

ディビジョン長会議とグループ会議

朝、東海にやや早めに到着したので、久々にMLFに行って新しい反射率計と小角散乱装置の真空槽を見てきた。午前中はその後ディビジョン長会議。昼から食事をしながらソフトマターグループのミーティングをした。

2011/01/26

PF-PAC全体会議

午前中はPF-PACの全体会議で、各分科会からの報告を元にして採択課題を決めた。また午後は産業利用課題の取り扱いについての打ち合わせをした。

2011/01/25

PF-PAC初日

今日の午後からPFのPACで、全体会議の後に分科会があった。僕が属する分科は委員が4人だったのだがJ-PARC関係の別の会議があったので3時に中座。5時に戻ったらまだ会議は途中で、結局終わったのは7時ごろだった。

2011/01/24

責任者会議とCMRC会議

日曜日に熱が出た関係で体調が戻らず、午前中のJ-PARCでの用事をキャンセルして自宅で仕事。午後からKEKに出て責任者会議とCMRCのプロジェクトリーダー会議に出席した。

2011/01/21

JK11 2nd day

今日はJK11の2日目で、主にサイエンスのセッションが行われた。僕はソフトマターのセッションで発表したのだが、そもそもソフトマターの参加者が少なかった上に発表も3件だけ。しかも座長が途中で帰国してしまったりして、いささか寂しいセッションだった。

夕方、東北大のY田さんが発見した韓国料理店で最後の交流をした。

2011/01/20

JK11 1st day

今日からThe 11th Japan-Korea Meeting on Neutron Scienceが始まった。会場はソウルのKorea University(高麗大)で、「韓国の早稲田大学」とも呼ばれる私学の雄だそうだ。「都の東北」にあるキャンパスは2つに分かれていて、一方は伝統的な建物が並んでいるのに対してもう一方には近代的な建物に彩られている。今回の会議は真新しいHana Squareと言うところでの開催である。今日の午前中は主に施設報告があり、昼食時のビジネスミーティングを挟んで午後はポスターセッション、そして装置に関する講演があった。また夜は学食でパーティーが行われた。

2011/01/19

ソウル

昨日、緊急で出せと言われた書類を早朝に提出して、朝から羽田空港へ。JK11(The 11th Japan-Korea Meeting on Neutron Science)に出席のためソウルに移動した。ソウルは晴天で雪も道端に残るだけだったが、気温はかなり低く冷蔵庫の中にいるようだ。

2011/01/18

MLFシンポ

昨日と今日は第2回のMLFシンポだった。前回の開催(2010年3月)から間が短く、またつくばでの開催だったが参加者は200人以上だったらしく盛況だった。ただ、ざっと見渡した感じでは学生が少ないようだったのが残念。やはり、修論やD論の時期だったからだろうか?

2011/01/14

今日も会議×2

午前中は東海でMLF会議。夕方はつくばで研究推進会議があった。それにしても今週は本当に会議ばかり。月曜の放射光学会を除いても4日間で9つもあった。その間には課題審査や書類作り等もあったわけで、本当に良く働いた。

ところで不調だったBuffaloの無線ルータだが、ファームウェアをダウングレードしても変わらなかった。そしてその後もいろいろ試行錯誤したのだが、「ルータモード」をONにしたところずっと良くなった。今のところ4日間安定して繋がっているので、何とかこれで解決して欲しい。

2011/01/13

会議×3

今日は朝から人事委員会で、5人を面接した。その人事には11人が応募していたのだが午前中だけで退出して東海へ。J-PARCのセンター長ヒアリングに出席する。終わった後につくばにとんぼ返りしてミュオンの実験審査委員会に出て、最後に技師のSさんと打ち合わせしてようやく1日が終わった。

2011/01/12

GL会議と責任者会議

午前中は中性子GL会議。午後は物構研責任者会議。昨日の2つの会議と先週の中性子PACを合わせると、物構研絡みの重要な会議を1週間で全部こなしたことになる。

夕方、今日が締めきりのPF課題審査の仕事をした。

2011/01/11

所長懇談会と運営会議

午前中は所長懇談会。僕は特にすることは無く、静かに所長やK野さんの報告を聞いていた。

午後は物構研運営会議。こちらは人事委員会の結果等いくつか報告することがあった。なお、今回は珍しく機構長が来て意見交流をしたのだが、そのためもあっていつも以上に時間がかかって終わったのは5時過ぎだった。

その後S包くんと議論をし、続いてS水さんと打ち合わせをした。

2011/01/10

今日も放射光学会

今日も放射光学会のためエポカルに行った。ただ、週末の間ずっと出張続きだったので家族の買い物などにも付き合わなければならず、必要なところだけ行ってすぐに帰った。

ところで昨年11月ぐらいに、家庭内LANの無線ルータをBuffaloのWZR-HP-G301NHと言うのに新調した。ルータのUSBポートにHDDを繋ぐとNASになる、と言うことで便利だと思って買ったのだが、どうも安定性が悪い。箱に「家中隅々までハイビジョン快適!」と書いてあるところを見ると電波が強いのがウリらしいのだが、不思議なことに3mほど離れたところでも弱くて遅いところがある。その上しばらく使っているとだんだんアクセスが遅くなり、ついに無線ルータが反応しなくなったり付属ソフトの「AirStation 設定ツール」で見つからなくなったりする。(再起動しないと元に戻らない。)たまたま悪い個体に当たったかと思ってお店で交換してもらったのだが、新しいルータも症状は全く同じだ。もしかして他にも同じ症状で悩んでいる人がいるかも、と思ってkakaku.comのクチコミを見たら、やっぱりあった。

http://bbs.kakaku.com/bbs/K0000084700/#12469977

早速ファームウェアを1.74にダウングレードしてみたのだが、さて?

2011/01/09

放射光学会年会

今日は午前中は家で仕事。ある申請書(詳細は秘密)を14件読んで、採点やコメントを書いた。

午後からつくば国際会議場エポカルへ。放射光学会の年会に参加した。

2011/01/08

領域研究会最終日

今日は領域研究会の最終日。そして、科研費特定領域「ソフトマター物理」の最後の行事の終了と言うことになる。この5年間、特定領域のメンバーとして研究を行い、また研究会などの行事に参加してきたわけだが、おかげでずいぶんと研究も進み、また色々な人の話も聞けて有益であった。これで終わってしまうのが残念なのだが、ただ科研費が絡む関係で「メンバー」と「メンバー外」の壁ができてしまうのは致し方がなく、それが固定化するのも良くないと思う。そう考えるとこの領域が5年で終わるのはちょうど良いところで、今後はどのようにこの分野の研究を盛り上げて行くか、が問題だ。特定領域はO田先生のリーダーシップのもとで行われたわけだが、今後はバトンを託された次の世代が(たぶん僕も含めて)考えなければならないのだろう。

2011/01/07

領域研究会2日目

今日は科研費の領域研究会の2日目で、午前中に発表があった。始めて口頭で臨界現象の話をしたのでどうかと思ったが、さすが物理学者の集団なだけあって的確なリアクションだった。

2011/01/06

領域研究会

科研費特定領域「ソフトマター物理」の第5回領域研究会が、今日から東大の弥生講堂で始まった。この科研費は今年度までと言うことで、公式行事はこれが最後。この特定領域のおかげでずいぶん研究が進んだので、これで終わりと言うのは残念なことだ。今日は講演を聞くだけだったのだが、いろいろ勉強になった。

2011/01/05

中性子PAC

今日は午後から中性子共同利用実験審査委員会(中性子PAC)があった。今日のPACで最も重要だったのはS型課題の審査だったのだが、既に予備審査を経ていたのですぐに終わるかと思えばさにあらず。1つずつ審議するたびに色々と議論すべきことが出てきて、1時半から始まった会議は結局は5時半頃までかかった。

2011/01/04

御用始め

今日はいわゆる「御用始め」だったが特にイベントは無かったので、午前中は医者に行って午後から東海へ。MLFコア会議に出席した。