2011/07/28

東海

今日は2週間ぶりに東海へ。午前中はディビジョン長会議に出席し、物構研事務室で打ち合わせしたりK山さんと話し合ったりした。

因みに明日から月曜日まで夏休み。北海道へ行って「釧路湿原マラソン」で30km走ってくる予定。

2011/07/27

会議×2

今日は午後から物構研責任者会議とCMRCのグループリーダー会議があった。また夕方は責任者会議の暑気払いがあった。

2011/07/26

物性研中性子施設運営委員会

午後は東大柏キャンパスに行って、東大物性研中性子の施設運営委員会に出席した。J-PARCは「国際公共財」と言う位置づけだ、と言うことになっているのでJRR-3も一緒かと思っていたのだが、原子炉は違う、と言うことを今日初めて知った。

2011/07/25

ESS

7時過ぎに成田空港に到着する便でプラハより帰国した。ECNSの後はESS関係のサテライトミーティングに出たのだが、50人ぐらいと言う話だったのに実際にはたくさん(目分量だが200人以上)出席していて驚いた。ヨーロッパには中性子施設が各国にあるのだが、その多くは原子炉なので、一部を除くと数年〜十年程度のうちに運転を停止することになる。今の情勢を考えれば新しい原子炉を作ることは難しいのは明らかなので、加速器駆動の中性子源を作るのは絶対に必要、と言うことのようだ。とは言えパルス中性子源は1つ作るのに数百億円以上かかる代物なので、1つの国だけで作るのは難しい。と言うことでESSは、ヨーロッパの17ヶ国が共同して作る計画となっている。技術開発や多国間協力など困難が多々控えていることは容易に想像できるが、何とかうまく行って欲しいものだ。

昼過ぎにつくばに戻り、ちょっとだけKEKに行って仕事をした。

2011/07/21

ECNS2011

日曜日(7/17)からECNS2011(The 5th European Conference on Neutron Scattering)に出席するためプラハに来ている。この会議はヨーロッパの中性子散乱研究者の学会であるENSA(The European Neutron Scattering Association)の主催で、1996年(インターラーケン)、1999年(ブタペスト)、2003年(モンペリエ)、2007年(ルンド)に続いて5回目となる。私はこれまで出たことが無かったのだが、立場上出た方が良いだろう、と思って来てみた。ヨーロッパの会議なのでこちらの人ばかりかと思えばさにあらずで、日本人もKEKやJAEAだけでなくいろいろなところから沢山(たぶん30人ぐらい?)参加している。口頭発表に選ばれている人も多く、会議を盛り上げる役に立っているように思う。

ヨーロッパでは次期パルス中性子源ESSが正式にスタートしてから初めての会議なので、その関係の発表が多く活気がある。ヨーロッパ全体で見ると中性子散乱の施設は多いが、ほとんどが原子炉ベースなのでいずれは休止に追い込まれると言う危機感があるようで、ESSに賭ける思いが強いのではないだろうか。このプロジェクトは17ヶ国の協力の元に行われるが、その困難もきっと乗り越えて行くのだろう。

2011/07/16

成田〜フランクフルト〜プラハ

成田空港発9時半のルフトハンザ便に乗って出張に出発する。エコノミークラスがほぼいっぱいだったのだが、これは「女子W杯」の決勝を見に行く人が居たからだろうか?見た目には、普段のお客さんと何も変わらないように見えたのだが。

フランクフルト行きは最新のエアバス380で良かったのだが、シートテレビのシステムが調子が悪く映画等が全く見れなかった。また唯一使えたスカイマップも表示される地名がデタラメ。クルーは地上と連絡を取りながら復旧に務めていたようだが、結局直らなかった。因みに先月ANA便で海外出張した時にもシートテレビの不調があったのだが、その時にはほとんどの機能は使えていて、しかもお詫びのクーポンかマイレージをくれた。ルフトハンザはそれより状況が悪かったにも関わらずお詫びの品は何もなかった。

2011/07/15

出張準備

午前中は国際会議のためのポスター作りなど。午後は物構研運営会議とCMRCの会議があった。午後7時前に帰宅して妻と出発の準備をして、成田空港近くのホテルにチェックインした。

2011/07/14

ディビジョン長会議

午前中はセンターのディビジョン長に出席した。会議はほぼ復旧の進行状況についてのもので、真面目に聞かなくても大丈夫とタカを括って内職していたのだが、終了間際になってS型課題についての話題になって驚いた。センター長が「S型課題は仲間内で大きな割合のビームタイムを取っていてケシカラン。PACを開いてオープンにやるべきだ云々」と言い出したのである。この人がそう言う主張だと言うことは前から分かっていたことではあるのだが、しかしこれまで何度も(特に運営調整会議の席上で)説明したことを何も覚えていなかったわけだ。S型課題のビームタイムが多いのは、主にはその装置を作るために導入した外部資金(NEDOやERATOなど)の要請によるもの。むしろそちらの止むを得ない事情を慮りつつ、こちらの原則といかに整合させるかを考えて決めたものだ。またそもそもS型課題は物構研の共同利用の枠内でやっているので、公募とPACによる審査を行うのは当然のこと。むしろJ-PARCの一般課題に比べて遥かに多くの時間と労力をかけて、コミュニティと連係しながら進めているのであって、今更部外者からとやかく言われる筋合いのものではない。現センター長の人間性は嫌いじゃないしリーダーシップも尊敬しているのだが、しかし既に説明したことをすっかり忘れて非難するのは困ったものだ。人間、年を取れば記憶力が減退するのは当然のことだが、自分がそうなっていることに気付かずに思い込みで他人を非難する、と言うのは止めて欲しい。

2011/07/13

東京会議×3

今日は朝から東京駅の近くの会議場へ行き、MLFの施設利用委員会を開いた。続いて場所を移して、個室のあるレストランで中性子GL会議。そして午後はCROSSの選定委員会にオブザーバー参加した。会議自体はそれほど大変ではなかったが、会議と会議の間の時間的余裕が全く無く、しかも場所が離れていたこともあって結構大変だった。

2011/07/12

リン脂質膜を中性子で見る

今日は久々に何も予定の無い日だったので、昨日〆切だった高分子学会誌の原稿を仕上げた。これは春ぐらいに北九州のSさんから依頼されていたもので、リン脂質膜と中性子散乱について書く、と言うことだった。リン脂質膜も中性子散乱も長くやっているので、これらをちょこちょこっとまとめれば良いだろう、と軽く考えていたのだが、いざ書こうと思って執筆要領を見てびっくり。自分たちの仕事の引用は40%以下に止めて、他の人の仕事の解説も含めてその研究分野の展望が見えるような文章にして欲しい、のだそうだ。ただ、そうは言っても原稿の長さは全体で3ページ。とても分野全体を見渡すような話は書けない。と言うことで、自分の研究に加えてY田くんの結果(これは自分自身は共著になってない論文なので、まあよかろう)と京大薬学部のNさんの話を加えて、〆切から1日遅れで提出できた。

2011/07/11

2011/07/08

7/6-8

7/6 午前中はPF-PAC全体会議。午後は東海で量子ビーム構造物性セミナー。
7/7 午前中はつくばで仕事。午後は神谷町のKEK東京連絡所で中性子科学会体制検討委員会。
7/8 阪大へ出張して、ソフトマター物理についてのセミナーをする。

2011/07/05

別のCROSSとの会議

今日の午後は昨日とは別のCROSSとの合同会議。昨日はわりと実務的な会議だったが、今日は両センター長が議長を務める公式のものである。重要事項はここで決定する事になっているので大事なのだが、しかし実質的な事を昨日終えている事もあって少々退屈だった。

2011/07/04

CROSSとの合同会議

午前中ちょっとだけつくばキャンパスに寄ってから東海に行く。午後はCROSSとの課題審査に関する合同会議が予定されていたのだが、準備に関しては人任せだった。が、それではいかん、と思い直して午前中に準備をして関係者に送付。おかげで件の会議は大過なく終わった。

2011/07/01

PF-PAC分科会

午前中は来週のセミナーの要旨を作成。またいろいろメールを読んだり書いたりしていたら突然空腹を感じたので、11時過ぎに「早弁」してしまった。おかげで昼休みはたっぷり時間があったのだが、仕事の都合と暑さに負けてテニスに行くのは断念した。

午後はPF-PACの分科会。PACは来週が本番なのだが、実質的な審査は分科会で行われる。今回は課題数があまり多くなかった(たぶん)こともあって、4時過ぎには終了。その後、今年度予算に関するまとめをしたり、7〜8月の出張の手続きなどをした。