2012/03/30

北大連携シンポジウム

昨日から今日は北大連携シンポジウム。つくばで行われた第1部ではソフトマターの研究について話をし、東海で行われた第3部(因みに第2部は夜の交流会)ではJ-PARCについての説明と見学案内を行った。

2012/03/28

ソフトマター研究会と利用者協議会

午前中は飯田橋に行って、中性子産業利用協議会などが主催の「第5回ソフトマター研究会」でスピンエコーの話をした。その後、K谷さんらと共に霞が関に移動して「J-PARC利用者協議会」にオブザーバー参加。終了後に再び飯田橋に戻って懇親会に出た。忙しかったのだが「研究会」の方の参加者には「良く分かった」と言ってもらえたので良かった。

2012/03/27

物理学会年次大会

3/24〜3/27は関西学院大学で行われた物理学会年次大会に出席した。その中で「物理学会論文賞」の授賞式があったので受け取ってきた。物理学会は公式の賞が論文賞と若手奨励賞しかなく、後者は年齢制限があるのでシニアな研究者がもらえる賞はこれだけ、ということになる。もともと2007年にこの賞を受賞した論文を書く時に「せっかく良い結果が出たのだから有名誌に出したら?」と言わたのだが、出版の早さ等々を考えてJPSJに出したのだった。ただその裏には「論文賞を取れるかも」と言う考えもあったわけで、その意図が実ったことになる。授賞式にはS君のご両親も来ていてずいぶん喜んでいた様子だったので、いろいろな意味で良かった。

2012/03/23

最後の責任者会議

午前中は物構研責任者会議。S村所長の元では最後の会議である。終了後に大阪に移動して、CMRCの懇親会に出た。

2012/03/22

物構研退職記念講演会

午前中はディビジョン長会議に出席。出たのは2/16以来で、だいたい1ヶ月に1回のペースで出席していることになる。昼からつくばに戻って物構研の退職記念講演会に出席する。

2012/03/21

会議@東海×2

午前中はつくばで仕事。昼から東海に行って、まず東海キャンパス全体会議に出る。また評価部会対策会議にも出て、バスでつくばに戻った。

2012/03/19

「国プロ」対応打ち合わせ

午前中は「国プロ」(いわゆる国家プロジェクト)対応の打ち合わせ。トップダウン型で走っている課題について実験したいと言う申請があったときに、一般課題とは違う取り扱いをするにはどうすれば良いかと言う点について、PFと中性子の関係者で集まって話し合った。

午後はBL06関係の物品を発注してあるM機工との打ち合わせをした。

2012/03/16

東海

今日は東海の一日。午前中はMLF会議に出席し、午後はQENS/WINSの組織委員会があった。

夕方、だいぶ前から依頼されていた論文の査読を行った。著者はこの論文に近い中身の共著論文もある良く知っている人だったのだが、何度か通読した印象はネガティブ。ある程度知っている僕でさえ分かりにくい論文が、他の人が読んだ時に理解してもらえるわけがない。

2012/03/15

PFシンポ

午前中はエポカルへ行ってPFシンポに出席。昼前にKEKに戻り、MLFのJ-PARC評価部会対策会議にTVで出席する。終了後に再びエポカルに行って、PFシンポのポスター審査をした。

2012/03/14

評価部会対策会議とGL会議と技術職員発表会

朝はまず、J-PARC評価部会に関するKEK内の対策会議があった。その後、僕の担当としては最後の中性子GL会議を行う。午後は技術職員発表会に出て、夜はソフトマター関係の飲み会に顔を出した。

2012/03/13

選定委員会と施設利用委員会

午前中はCROSSの選定委員会で午後はMLF施設利用委員会。同じような議論を2度しなければならず疲れた。そして終了後にKEKに戻って新所長への引き継ぎを8時半頃までやった。

2012/03/12

帰国

ワシントンDCからは全日空のビジネスクラスだったため非常に快適。美味しいものを食べゆっくり寝て、仕事も少しできた。成田には予定通り到着してホテルに置いていたクルマをピックアップして帰宅。途中、少々渋滞があった。

2012/03/11

移動2日目

ブエノスアイレスからワシントンDCまでの便は混んでいたが、とにかく睡眠と思って食事もせずにひたすら寝る。ワシントンDCはパスポートコントロールも空いていて、荷物のトラブルもなく無事ゲート通過。ルフトハンザのラウンジで3時間ほどゆっくり過ごす。全日空も共同で運営しているラウンジだったので、ドイツ風の食べ物の間にカップラーメンが置いてあっておもしろかった。

2012/03/10

移動初日

午前中はホテルでゆっくりして、11時にチェックアウトしてH野さんとバリローチェの空港へ。そもそも時間的な余裕をたっぷり取っていたのだが、飛行機が遅れたため更に(図らずも)ゆっくりすることになった。

ブエノスアイレスでは国内線専用のホルヘ・ニューベリー空港から国際線のエリーセ空港までremiseに乗って移動。国内線が遅れたものの2時間前には着いたので大丈夫、と思ったら、なんとWashington DC行きのUAのカウンターが長蛇の列。僕は上級マイラーのカードを持っていたおかげで短い列に付くことができたのだが、それでも1時間ぐらいかかった。

と言うことでアルゼンチンから出るのにほぼ1日かかったわけだがこれからが本番。ワシントンDCまで10時間、成田まで14時間のフライトが待っている。

2012/03/09

ICANS終了

5日間(日曜のget togetherを入れれば6日間)にわたったICANSがようやく終了した。中性子利用が中心だった僕にとっては、装置開発のディープな話が多くて良く言えば新鮮、悪く言えばマニアックな話が多く、あまりついて行けなかった。それでも代理発表したことと、次回の開催地決定に貢献できたことで任務は果たしたと言えるだろう。また会議の場所が初めての南米で、しかもアルゼンチン随一のリゾート地として知られるバリローチェだったことは良かったし、普段話す機会が少ない人とじっくりと話すことができたのはそれにも増して良かった。

2012/03/07

ICANS3日目

ICANSは3日目。今日はセッションは午前中だけで、午後はexcursionだった。近くの山にリフトで上って展望を眺めただけだったのだが、山と湖に囲まれた風景は壮観だった。昨年6月にチリの火山が噴火した時には火山灰が数十cmも積もって生活にも影響するなど大変だったらしいが、ここからの眺めそのものはさぞ凄かったに違いない。

2012/03/06

ICANS2日目

ICANS2日目の今日は、朝イチで発表があった。今回はA井ディビジョン長の代理で「J-PARCの震災からの復旧と現状」と言うテーマである。A井さんからもらった資料をいろいろ修正して準備万端で臨んだおかげか、まあまあうまく行ったと思われる。発表後に聴衆からスタンディングオベーションを受けて気持ちが高揚したのだが、しかしこれは僕個人への称賛ではなくJ-PARCとMLFに対するものである。この様子を、何らかの形で関係者に伝えることができると良いのだが。

午後になって、KEKからの他の参加者3人が到着した。また夜のbanquetではアルゼンチンタンゴを見ることができて良かったのだが、ホテルに戻ったのは深夜の1時でへとへとだった。

2012/03/05

ICANSスタート

今日からICANSの実質的な会議が始まった。午前中はPlenary sessionで、主催者からの歓迎の言葉とESSとSNSの現状報告、更にアルゼンチンで計画中の研究用原子炉についての話があった。そして午前の後半と午後は分科会に分かれての議論となった。僕は話を聞きながら、明日の発表の準備を進めた。

2012/03/04

バリロチェへ

今日も移動で、ブエノスアイレスから国内線でバリロチェへ行った。「南米のスイス」と言われるバリロチェだが、空港に着いたらそんな感じではなくむしろ荒涼とした感じ。どうやら近くの火山が噴火したため、大量の火山灰が降ってそうなったらしい。空港からバリロチェの街に行くと湖と森の瑞々しい雰囲気になって、「南米のスイス」も分かるかな、と言う雰囲気になった。

ICANSは今日は登録とget togetherだけで、明日から本格的に始まることになる。

2012/03/03

成田〜ワシントンDC〜ブエノスアイレス

昨日〜今日は地球の裏側までの大移動。11時5分発の便でワシントンDCまで行き、そこで乗り継いでブエノスアイレスには翌日の11時過ぎに着いた。一見、丸一日の移動のようだが、日本とアルゼンチンの時差はちょうど12時間なので36時間かけての移動だったことになる。ワシントンDCでは乗り継ぎの待ち合わせが12時間ほどあったのだが、現地在住のN尾さんに来てもらっていろいろつきあってもらってとても助かった。

因みにアメリカまでは全日空、ブエノスアイレスまではユナイテッド航空を使ったのだが、サービスの落差があまりにも大きくて笑ってしまった。

2012/03/01

中性子課題審査部会

今日は午後からMLFの中性子課題審査部会があったのだが、明日からの出張を考えて成田空港近くに泊まることにした。朝、出張の荷物をそろえてホテルまでクルマで行って、東京まで「出張」して課題審査部会をやって、終わった後に外国人の委員の接待をして遅くにホテルに戻った。事務の規程では空港近くの前泊が許されるのは出発便が早くてバスでは間に合わない場合に限られるそうで、このようなやり方は認められないのだが、会議の後に遅くに戻って朝早く出るよりはこの方が圧倒的に楽。もちろん、ホテル代は出張旅費から出ないので自腹なのだが、2週間までならクルマをずっと預かってくれるので経費はほとんど変わらないのである。

因みに課題審査部会は、緊急課題対応のビームタイム提案が急だったため揉めたものの、それ以外はスムーズに終わった。