2011/04/28

技師発表会

午前中は東海へ。ディビジョン長会議に十分に間に合うように行ったはずだったのだが、途中で渋滞していたりI田さんとのTV会議があったりして半分しか出れなかった。

弁当を食べてつくばに戻り、業者との打ち合わせ。その後KENSの技師発表会に出席する。この1年間に何をしたか、と言うことをそれぞれで発表したのだが、なかなか面白かった。やはり仕事が独りよがりにならないためには、話をまとめて聞いてもらう、と言うことが大事なのだな、と思った。

2011/04/27

出前授業

今日は呉高専で出前授業。高専に行ったのは初めてだったのだが、まさに高校と大学の間、と言う雰囲気。授業は大学の3,4年生にあたる「専攻科」で行ったのだが、興味津々で聞いている学生がいる一方で爆睡している子もいたりして、まさに学部で講義しているような感じだった。

授業が終わった後は呉でゆっくりし、広島経由で空港に行ってつくばに戻る。

2011/04/26

呉へ

昨日の午前中は物構研責任者会議で午後は物構研の運営会議。今日の午前中は物構研の所長懇談会があり、それぞれで中性子の現状(被災状況とNIACについて)について説明した。また今日の午後は登録機関との連携の会議が東海であったので、最初の45分間だけ出席する。そしていったん自宅に戻り、TXに飛び乗って羽田空港から広島へ。明日の呉高専での出張講義に備えて呉に移動した。広島空港から呉までのバスがあると信じて来たのだが、何と先月いっぱいで運行休止になっていたとのこと。止むなく広島経由で2時間かけて、11時にようやくホテルに着いた。

ところでこれらの会議の合間に、何度かCMRCの外部資金の申請に関する打ち合わせを行った。ターゲットは触媒と言うことだったのでどれだけ役に立てるか分からない話だったのだが、いろいろ調べ、また専門家の話を聞くうちに面白さが分かってきた。会議のためにあちこちに行かなければならない状況の中でこの話に絡むのは大変なのだが、それでもサイエンスの話なので面白い。

2011/04/22

広報企画委員会

午前中はJ-PARC運営会議。東海での開催だったのだが、つくばからTV会議で参加した。

午後は機構の広報企画委員会に出席した。この会議は広報全体に関する戦略を考えるところなのだが、要は社会との接点をどうするか、ということだ。社会との接点、と言っても相手側が誰かによって様々なバリエーションがあるわけで、その辺の普通の人の場合と政府の役人を対象とする場合とでは全く違う戦略が必要になる。その他にも小中学生の場合、高校生の場合、大学生の場合。理系の人の場合と文系の人の場合。オカルト好きの人の場合や科学オタクの場合など、様々な人に関心を持ってもらい、かつ正しく知ってもらうことが必要だ。これらの対象となる人々のうち、どこにどのように重点を置きどのように広報活動を展開して行くか。予算と人が限られている中で、なかなか難しいものだ。

2011/04/21

復旧はいつか?

午前中は東海でディビジョン長会議が、午後はつくばでJ-PARC調整会議があった。どちらの会議も震災の被害についての話題が中心だったが、誰もが気になるのは「いつ復旧するか」と言うことだ。J-PARC全体で見ると機器の損傷は思ったほど酷くはなく最悪の事態は免れているようだが、ただだからと言ってそう簡単に復旧すると言うものでもない。特に水や電気などのインフラの復旧には金も時間もかかるので、それがどういうペースで修理できるか、が律速になっていると言える。今日の会議では上層部は一様に「一刻も早く復旧を」と考えているのだが、それをどのようにやって行くかと言う点での合意はできていない、と言う印象を受けた。

夕方はCMRCで大きな研究費を取りに行くための戦略を練った。こちらも話がまとまった、とは言えないのだが、サイエンス中心のブレインストーミングをするのは楽しかった。

2011/04/20

中性子GL会議

今日の午前中は中性子のGL会議。このところ補正予算関連で集まって話すことが多かったので、今日は11時過ぎには終わることができた。

午後は主に、来週呉高専ですることになっている「出前授業」の準備をしていた。

2011/04/19

雨の日

今日は朝から強い雨が降り風も吹き、時折雷も鳴るなど激しい天候だった。午前中東海でJ-PARCの震災対策会議があったのだが無理に行かずに、つくばで仕事をしていた。

2011/04/18

iMac帰還

午前中は中性子・ミュオンの教授会。午後はつくばに戻って、今日〆切の科研費の交付申請書と物構研運営会議に向けての報告書を作った。

ところで今日、AppleからiMacが戻ってきた。これは震災発生時に机から転落して、前面のガラスが粉々になったもの。Appleで無償修理をしてくれると言うので、ちょっと前に送ったものだった。早速チェックしてみたのだが、中身はそのままで破損した部分が全部綺麗になって戻ってきていた。以前はユーザーサポートがどうのこうの、と批判されたこともあるAppleだが、震災で壊れたものを全て(保証のある無しにかかわらず)無償で修理してくれる、と言う対応は素晴らしい。しかも思っていたよりも早く戻ってきたのには感心した。大学院生の時以来、Appleとは四半世紀に渡って付きあってきたのだが、ここまでAppleで良かった、と思ったのは初めてかも知れない。

2011/04/15

つくばソフトマターの宴会

午前中はディビジョン長会議。午後はMLFの復旧対策会議。その後つくばに戻り、少々話をして夕方の「つくばソフトマター」の宴会に行く。今回「3/11」をテーマに参加者全員に話してもらったのだが、つくばに住んでいる人いない人、つくばに住もうと思っていた人、地震で被害を受けた人、受けなかった人等それぞれでドラマがあって面白かった。

2011/04/14

予備ヒアリング

今日の午前中は、研究推進会議による予備ヒアリングがあった。基盤Sのヒアリングに進んだ人のプレゼンを聞いて色々と意見を言う、と言うもので、1時間ほどつきあった。今回僕は基盤Sに出したもののヒアリングには進めなかったわけだが、いつかあるかも知れない機会のため、と思えば有益だった。

2011/04/13

節電と余震と

今日は昼から機構の大震災対策本部会議。夕方はCMRCのプロジェクトリーダー会議があった。またその後、S包くんと論文に関する打ち合わせをした。

ところで震災以来、職場はずっと節電モードでやっている。大量の電気を使う加速器の運転をするウチの研究所は東電にとっての「大口ユーザ」なのだが、とにかく電気が足りない時である。この1ヶ月、研究所内では電灯も暖房も使わず実験装置も使わず、とにかく最小限の電力でやって来た。しかしながら電力が無ければ装置が壊れているかどうかのチェックもできないため、徐々に使用電力量の緩和が予定されているとのこと。今月末からはいよいよ加速器にも火を入れて行き、順調に行けば夏前にもビームを出して調整を行って、秋にはユーザを受け入れる可能性もあるらしい。ただ全国的な電力事情がどうなるかによっては、使用を遠慮する事態にもなるはず。一般の生活に迷惑をかけてまで加速器を運転するわけにもいかないので、なかなか困ったことである。

そして、それ以上に気になるのは余震である。4/7に宮城県沖でM7.4があったのに続いて一昨日は福島県浜通りのM7.1と茨城県北部のM5.9、そして昨日は千葉県沖と福島県浜通りのM6.3。これで終わりかと思えばさにあらずで、今朝も福島県でM5.8の地震があった。これだけ強い地震が続くとせっかく復旧させてもまた元の木阿弥、と言う感じにもなり兼ねず、むしろこれ以上被害を拡大しないようにも考えなければならない。復旧の予算が付くかどうかも良く分からないし、全く困ったものだ。

2011/04/12

臨時GL会議

朝は医者に寄って血液検査をしてもらってから出勤。尿酸値は安定していた。11時から臨時のグループリーダー会議を開いて、今年度のプロジェクト経費の使い方と震災復旧の方策について議論した。

午後はちょっと時間ができたので、ホームページのトップページや「研究」の部分を修正。またアニュアルレポートの原稿を書いたりした。

2011/04/11

余震

午前中は物構研責任者会議。午後は人事委員会があった。また昼休みには科研費で購入しようとしている物品に関して業者と打ち合わせをした。

ところで今日の人事委員会の最中に大きな地震があった。つくば市は震度5弱と言うことで、4/7の余震よりも更に大きなものだった。研究所は特に大きな被害はなかったが、自宅ではいくつか棚から物が落ちて壊れたものもあった。その後も何度も地震があって、とても「余震」のレベルだとは思えない。

2011/04/08

原子力機構

昨日ディビジョン長が終わった後に顔なじみの業者と立ち話をしたのだが、原子力機構がお金を払ってくれなくて困っているらしい。昨年度の契約で年度内に納品を済ませていたのだが、地震のために納品検収(発注した物品等の品質、性能等の検査を行い、合格であれば受領すること)ができず、それを理由に支払いをしてくれないのだそうだ。原子力機構のお金はもともとは国民の税金なので、仕様書通りにできている事を確認してから払うのは当然ではあるのだが、しかしこのような未曾有の震災の時である。多少柔軟に運用してもバチは当たらないであろう。実際(その業者が言うには)KEKは簡単な検査で納品検収を済ませてお金を払ったらしいのだが、原子力機構は「地震保険があるだろう」とか言って払ってくれないのだそうだ。業者にしてみれば、予定通りにお金が来なければ資金繰りに苦しむことになるのは当然のこと。保険に入っていると言っても十分な額が出るわけではないので、「このままでは倒産してしまう」と悲痛な顔をしていた。原発問題で原子力機構も大変なのかも知れないが、真面目な業者を泣かすようなことは止めて欲しいものだ。

2011/04/07

ディビジョン長会議と打ち合わせ

午前中はディビジョン長会議。昼食後にA井MLFディビジョン長と打ち合わせをし、その後MLF復旧対策会議に顔を出す。そして夕方はソフトマターグループで研究の打ち合わせをして、来週渡独するS包くんの歓送会をした。

2011/04/06

中性子科学会拡大評議員会

午前中は研究所へ行き、メールなどへの対応をした。

午後から中性子科学会の拡大評議員会のため東大物性研へ。評議員の他にも新旧の幹事がいたため、賑やかな会議だった。

2011/04/05

会議×3

午前中は利用促進チーム会議。MLFの課題と今後について議論した。特に登録機関となったCROSSとの協力について話し合った。

午後はまずMLFの復旧に向けての会議。続いて、KENSの全体会議を開いて今後の事について話し合った。

2011/04/04

科研費

夕方、事務から科研費基盤Aの内定通知が来たと言う知らせがあった。3年前に基盤Cが切れてから、久々の採択である。

科研費はいつでも「当たれ!」と願いながら申請しているのだが、今年は特に特定領域が終わった後だと言うことで「当たらないと困る」と言う状況だった。申請した研究の内容は着々と成果が出つつあるものだし、申請書も時間をかけて作成した自信作だったのだが、それでもどう評価されるかは別。ほぼ同内容で申請した基盤Sは面接にも行けなかったこともあって、4/1に通知が来なかった時には「もうだめかも」と思って諦めかけていた。大震災のおかげでJ-PARCもPFもダメージを受けて色々なことが停滞しつつある時期だっただけに、今回の採択はことのほか嬉しい。

ところで帰宅後、震災直後から行方不明になっていた伯父が見つかった、と言う知らせを受けた。浪江町に住んでいたのだが、地震の後の原発事故のため家族がバラバラに避難していため、連絡が取れなかったらしい。聞くところによると、避難民のうち役場に把握されていない人はみんな行方不明者扱いになっているとか。報道では行方不明者は1万5千人と言うことになっているが、そのうち相当数は「所在不明だが生きている」と言うことなのかも知れないし、またそうあってほしい。

2011/04/01

会議×2

午後は会議が2つ。まずはKEKの大震災対策本部会議、続いてJ-PARC研究推進会議による報告会があった。それぞれ震災後の状況報告が中心だったのだが、個人的に新しい情報はほとんど無かった。まあ、それでも会議に出て聞かなければならないのだが。

午前中はAnnual Reportの原稿作り。午後は会議の後にSNS申請のため(と言っても自分のためではないか)のテンプレ作りをした。